EF55と高崎運転所旧型客車を入線整備し、試運転をおこないました。


入線整備にあたっては、EF55の復活当時の様子の掲載された

鉄道ファン1986(昭和61)年10月号を参考にしました。
同誌の折込カラーには、同年3月26日に大宮工場で整備終了した写真があります。
同誌掲載の履歴簿によれば、同年6月24日に車籍復活、同年7月7日には、営業運転に必要な検査が終了し、同月25日、高崎水上間で営業運転を開始したとのことです。
このときの営業運転は、よみがえるEF55(GOGO)と題して、25日から27日および8月1日から3日にかけて行われ、今回のEF55と旧型客車はこのときの姿をプロトタイプとしたようです。
同誌に掲載された写真を見ますと、列車無線アンテナも信号炎管も未整備(表紙をみても判ります。)。EF55は、1958(昭和33)年に廃車になっていて、当時は信号炎管はありませんでしたので、整備にあたって取り付けないということも判るのですが、本線で営業運転する際にも取り付けなかったのはちょっとした驚きです。
ということで、

ユーザー取付パーツやヘッドマークは使用せず、

後位側カプラーをCSナックルに交換するだけにしました。
高崎線120周年号運転の際には、信号炎管も列車無線アンテナも取り付けられており、さらには、機関助手側の窓の上に棒状の無線アンテナらしきものが取り付けられていたようです。
つづいて、10-1805 高崎運転所 旧型客車7両セットについて
よみがえるEF55運転当時の綺麗に整備された状態をモデル化しています。
車体色は、つやのあるぶどう色。とてもきれいです。

ただ、窓ガラスパーツと一体の窓枠の色調が車体よりも薄く、ちょっと惜しい。
両端のスハフの車掌室側とスエ78の両側がアーノルトカプラー、そのほかはKATOカプラーBタイプジャンパケーブル付きです。写真は、すでにナックルカプラーに交換してあります。
付属するパーツは、かもめナックルカプラー4個、客車にセットする「GOGOTRAIN」テールマーク、スエ78のふさぎ板を取り外す場合に取り付ける貫通ホロそして後部標識円板。
セットの目玉はスエ78。


スエ78についても、上記鉄道ファンに説明があり、もとは2等食堂合造車のスロシ38000として1935(昭和10)年に誕生、戦中に3等食堂合造車のスハシ49に格下げ、戦後の混乱期に全室3等車改造されてオハ78となり、1954(昭和29)年には、郵便荷物合造車マユニ78に再改造され、1966(昭和41)年にスエ78救援車となったそうです。
営業運転の際には、スエ78にも乗客の姿が見えますが内部は救援車のままだったそうです。

模型の内部も床だけの表現
その余の6両はオハ47が4両とスハフ42が2両。既存の製品を塗り替えて、窓下に三等標記が印刷しただけかと思いきや、1両、1両細かなところで作り分けており、芸が細かい。
スハフ42 2071



単品のスハフ42青(5134-2)を塗り替えただけかと思いきや、トイレ窓の桟の有無に違いがあり、

車掌室の貫通扉窓が天地方向に小さくHゴム支持ではありません。
オハ47 2266


こちらは単品のオハ47青(5135-2)の塗り替え製品
オハ47 2239


2266と同じかと思いきや、洗面所窓の桟が中途半端な位置にある(写真下)変形車でした。
オハ47 2261


車体はオハ47青の塗り替えなれど、窓パーツは、トイレ、洗面所窓に桟のないタイプ
オハ47 2346


2位側の客室扉が2段のHゴム支持の変形車。また洗面所窓の桟も中途半端な位置
スハフ42 2173


車掌室の貫通扉は2071同様、小さくてHゴム支持でない形状。車掌室寄りのサボ受けが客用扉のとなりではなく、車掌室車端に取付られ、2,4位側の客室扉は2段のHゴム支持、客室の窓枠はアルミサッシ。
細かく作り分けられたセットですが、そんな細かいことは気にしないということであれば、スエ78のASSYのみ入線させて、あとの6両は入線済みの車両からチョイスするのもありだと思います。
が、1セット購入しておいて

D51498やC6120に牽かせるのもありでは。
客車の方の入線整備は、スエ78の両側とスハフ42の車掌室側のカプラーをかもめナックルに交換
スエ78のふさぎ板側とスハフ42 2173にGOGOTRAINのテールマーク取り付け

スエ78は両面テープで貼り付けましたが、スハフは幌に接着して、幌ごと取り替えるようにしました。
行先サボは

つぶしの利く「高崎行」を貼り付け
Ⅹ(Twitter)に走行画像をアップしました。

にほんブログ村
最近のコメント