高崎線6キロポスト付近

 キハ58の画像を探しておりましたら、鉄道ホビダスのページに至り、高崎線のページを眺めておりましたら、1965(昭和40)年にEF58を撮影した写真がありました。

 権利侵害になりますので画像は貼り付けられません。上記リンクを開いてスクロールしますと、上越仕様のゴハチという表題の写真があります。ぶどう色2号の上越形ゴハチが旧型客車をけん引しており、片隅に6キロポストが写っています。ぜひご覧ください。

 画像がないままでは、これからの話が浮いてしまうので、

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画像に似せて模型を撮影しました。

 

 画像の風景は農業地帯ですが、58年経過した現在はどうなってるでしょう。

 交通量の少ない日曜の朝、現場に行ってきました。

 まずは、大宮寄りの踏切から撮影

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 夏草が繁茂していますが、矢印の先が6キロポスト

 線路の両側に建物が並んでいて当時とは全く異なる風景。

 上空のクレーンは、1キロほど先にある巨大倉庫建築現場のものです。

 私は、1968(昭和43)年に上尾市に転居し、ゴハチの写真の3年後から高崎線を利用していましたし、当時の高崎線は本数が少なくて、乗り遅れたらこの場所の100mほど東側にある旧中山道を通うバスを利用していました。

 その3年前に、ここまで田園風景だったとは驚きです。

 

 ゴハチの写真は、下り線側の犬走を歩いて行って撮影したもののようですが、現在ではそんなことは到底できませんので、上り線側の市道をたどってみます。

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少し近づいてみました。矢印のところにキロポストがあります。

下り線側はずっと建物敷地となっていて、線路に近づけません。

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 キロポストの傾き具合は、昭和40年当時と同じようです。ゴハチがこのあたりにきたときにシャッターを切ったんでしょう。

 当時としては、なんの変哲もない普通列車ですが、今となっては大変貴重。

 撮り鉄さんが集まる中、カシオペアを線路際で撮影して緊急停止させるより、今、あたりまえに走っている列車を安全に写す方が、よほど貴重な写真になると思います。

 

 

 

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50年前の車両に興味はありますか

 鉄道模型を始めた1971(昭和46)年頃、50年前の車両なんて興味はありませんでした。50年前は1921(大正10)年。当然明治時代の車両が現役バリバリだし、新車というとC51とかナハ22000系あたり。ナハ22000というのは、形は

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オハ31で木造の客車。

 1971年では、さすがに明治時代の車両もナハ22000系も見る機会がなく、C51は

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1966(昭和41)年に全廃されていたものの、戦前の特急牽引機としてHOの製品がありましたから知ってはいましたが、そもそも高度成長期の少年には、ブームになっていたSLに想いを寄せるよりも、新鋭特急に心をときめかしていました。

 しかし、1971年ころに60代だったモデラーは、少年期に見た明治の車両とか当時の新車にノスタルジーを感じていたのでしょう。TMSにもそういう車両の製作記が散見されました。

 メーカーもときおり明治期の車両を製造することがあり、1973年の10月号には

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珊瑚模型店の古典ボギー客車のキット

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が掲載されています。

 プロトタイプは、東海道線が全通した1889(明治22)年ころに投入されたもので、こういう客車

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2120型が牽引していたのだとか。

 1971年ころ60代であったモデラーの中には、舞台は幹線から支線に移っても我が街の重要な交通手段だった列車にノスタルジーを感じて、購入された方もおられたことでしょう。

 同じようなノスタルジーは私も感じていて、1971年当時の貨物列車の定番であった

二軸貨車が連なる姿をみると、踏切で何両つながっているか数え、1両ごとに形の違う貨車がのんびりと目の前を通り過ぎていく光景を思い出します。今のモデラーにとっては、2軸の車両が幹線を走ること自体、違和感以外の何物でもないでしょう。私も、2軸の客車には違和感を持っていましたから。明治の客車の製品は1970年代が最後の製品化だったように思えるのですが、そうなると、2軸貨車が製品化されるのも、この先10年くらいまでなのでしょうか。

 

 1972年の新車は

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485系200番台とか183系0番台。今のモデラーはステンレスではない車両など古めかしいと思われるのでしょうか。当時は、飯田線に流電が走っていて、スカ色で流線形の車体を好ましく思っていたけれども、流電のデビュー当時をご存知の方はスカートを外され、ぶどう色とクリームの出で立ちから、スカ色に塗られた姿を嘆いておられたかもしれません。特急色以外の485系や183系は一線を退いた姿と感じるように。

 

 そろそろEF651000が終焉を迎えそうです。1969(昭和44)年に登場。50年前には、新鶴見区の旧型電気や東京区のEF65Pを置き換えました。

 現在までの想いでも記事にしてみたいと思います。

 

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E235系発売記念、模型で見る横須賀線

 先日発売のE235系1000番台。素晴らしい出来栄えに、横須賀線の車両を並べたくなりました。

 

 

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 70系は北鎌倉で見たような記憶がなんとなくあります。70系から111系への交代は1964(昭和39)年から。

 111・113系は、小学生のときに江の島に遊びに行ったときに乗りました。

 マイクロの初期製品ですが、いつ見ても似てません。

 KATOが111系を製品化したときに、すぐに横須賀色が発売になるだろうと思いましたが、今に至るも音沙汰無しです。

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 1972(昭和47)年の房総電化と東京地下駅を前に113系1000番台が登場。

 その後は、1000番台を新製し、非冷房車を地方へ転属させて、1980(昭和55)年の横須賀線-総武線直通に備えました。

 1000番台はTOMIXの初期の製品に手を加えたもの。形態もさることながら、モーター車の動きがギクシャクする上に、フランジが高くてTOMIXのガーター橋ではタイヤ面が浮いてしまい止まってしまいます。動力ユニットの交換を考えたいと思います。

 

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 1990年代末にE217系が登場。近郊型なのに4扉。今では当たり前ですが、当時は着席チャンスが減ると不評でした。

 

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 インバータを更新したE217系は、帯の青色が淡くなりました。私としては旧色のほうが横須賀線らしく感じます。

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 そしてE235系の登場。切妻前面に4扉ロングシート。もはや近郊型というジャンルはなくなったのでしょうか。

 帯の色は濃くなったようです。

 

 以下、E235系のシーンです。

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東海道本線「こだま」形電車の全盛期

 今月の鉄ピクに触発されました。

 新幹線開通前夜の東海道本線。まずは、

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こだま型電車

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 特急を補完する急行は

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153系

 サロ、サハシを

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各2両組み込んだ豪華編成

 特急ひびきは、

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157系

 特急電車の続行運転で、

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修学旅行臨がやってくる。

 すれちがう横須賀線は、

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未だ70系の時代

 東海道線には111系は登場していたものの、

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主力はまだまだ80系電車。

 京浜東北線は、

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72系全盛。103系が入るのは1966年から。

 東京口ブルートレインは、あさかぜ、さくら、はやぶさ、みずほの4本でけん引は、

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EF60500

 夕方下っていくさくら号が上ってくるのは、お昼前。

 そのころ下っていくのが九州行きの急行列車。

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EF61もけん引していたよう。

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 旧型客車はブドウ色2号だった時代。

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 九州急行は、東海道線内昼行、山陽線内夜行。午前中に東京を発つ。

 KATOさんは、新幹線開業前の車両の製品化には消極的で、青大将とか151系とか一世を風靡したもののみピックアップ。

 ちょっと塗り替えたり、屋根をいじればこのころの製品になるのですが。

 

 

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EF61が牽く急行列車を揃えてみました。

 EF61が牽く列車として荷31レの汐留出発時の熊本・鹿児島行を基本編成として揃え、残りは手持ちの荷物車を連結できるよう、手控えを用意しました。

 そして本日の本題ですが、EF61は急行列車も牽いていました。急行阿蘇(名古屋⇔熊本)の名古屋・下関間。新幹線が博多開業した1975年3月まで走っていました。

 その編成は、

 ユ-ハザ-ロ-ロネ-ハネ×4-ハ×3-ハフ-ハ-ハフの14両編成で、郵便車は名古屋門司間、最後のハ-ハフが名古屋博多間の付属編成でした。ちなみに、熊本に到着した急行阿蘇は急行天草となって熊本京都間を往復したのち、ふたたび急行阿蘇として名古屋に戻るという運用でした。

 この編成なら製品化された車両で組めそうです。

使用された車両を調べたところ

 ロネ→

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オロネ10

 

 ハネ→

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スハネ16×3+オハネ12

 

 ロ→

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スロ54 62かと思ったら54でした。大雪、だいせん、ゆきぐにセットで製品化されています。

 

 ハ、ハフ

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→43系

 

 ユ→

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スユ43ORオユ12 オユ12は製品化されています。

 

 で、ハザも

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スハフ42あたりで楽勝かとおもいきや、

 

スハフ43 10番台。スハ44を改造して緩急車にした車両で、KATOさんは製品化していません。スタイルとしては、スハ44のドアから2番目の窓を埋めて、妻板にテールライトがつくもの。

 窓埋めだけで良いのならスハ44を加工すればよいのですが、問題はアルミサッシ表現。スハ44は車体側に窓枠が表現されているので、銀色を刺さなければなりません。

 老眼にはきつい作業。KATOさんが製品化してくれるとうれしいのですが・・・

 

 とりあえず、

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手持ちのスハ44で代用して走らせてみました。

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EF61の牽く荷物列車 荷31レ

 荷31レは汐留・鹿児島間の荷物列車で、浜松・広島間でEF61が牽引にあたりました。

 その編成が、「荷物車・郵便車の世界」242ページに掲載されていましたので、表にしてみました(クリックすると拡大します。)。

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 1978年10月改正で、パレット荷物車中心の編成に変わりました。

 鉄道ファン1982年10月号は荷物列車の特集で、

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1980年11月改正時における

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荷物列車の牽引機、編成、個々の荷物車の運用が掲載されています。鉄道ファン詩の中では荷物列車のバイブル的な一冊。最近は、ネットで鉄道ファン詩を閲覧できる(有料)ようになりましたので、興味のある方はご覧になってください。蛇足ながら、同誌の発売から40年が経過したとは・・・

 同誌の記事を参考に、31レが汐留を出発してから鹿児島に到着するまでの牽引機、編成、運用区間を表にしてみました。クリックすると拡大します。

 草色に塗りつぶしたものが、汐留発鹿児島行の4両。その前後に増結・解結を繰り返して進みます。

ベージュで塗りつぶした各駅では、どの荷物車が連結され、解放されるかを注記しました。

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 広島で増結される広荷204・201は汐留発下関行ですが、広島までは別の列車でやってきます。東小倉で増結される大荷203、大荷4、名荷2も同様です。

 編成を調べるだけでお腹いっぱいになってしまいましたが、1975年と1978年の編成を牽かせてみました。

1975年

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 まだまだ茶色のマニが連なっています。

 

1978年

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パレット積み車両が増え、編成全体が青くなっています。

このころになると、EF61はシールドビーム2灯に改造されているかもしれません。

 

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EF66を走らせる 5

 鉄道ピクトリアル2022年2月号EF66特集の中の、貨物輸送から見たEF66という記事を模型で再現しています。

 最終回は、EF200,210登場から現在までです。

 

 貨物輸送量の増加に対応するためEF66 100番台が増備されましたが、同時に、次世代電気機関車の開発も進められていました。

 1992年から量産された

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EF200と1998年から量産されEF66と同等の性能を有する

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EF210です。

 一方、JR西日本に継承された66は、ブルトレの廃止に伴って1995年から廃車が始まりました。

 

 1998年10月の改正では、EF210の投入により、1300トン列車は14本から31本に増え、うち6本は最高速度100キロを実現しました。EF66は、100キロ走行の3本を含む15本の1300トン列車を担当し、9本の110キロ走行列車のうち、5本をけん引するなど主力機として活躍しました。

 また、同改正から、

 

運用範囲が黒磯まで広がり、黒磯から幡生までのロングラン運用も発生しました。

 他方、短距離で85キロ走行のコンテナ列車(高速貨C)や

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石油・化学薬品などの専用貨物列車のけん引も行うようになりました。

 2000年には

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EF210 100番台が登場し、徐々にEF66の活躍の範囲が狭まり始めます。翌2001年には試作機の901号機が廃車。

 2007年には1300トン列車の北九州貨物ターミナルまで運転されるようになりましたが、そのけん引を担当することはなく、かえって11,14,15,18号機の4両が廃車となりました。2008年以降も0番台の廃車は続き、2011年には14両になってしまいます。

 2016年、EH500が東北本線を直通するようになって黒磯への運用は終了しますが、翌2017年、

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国際海上コンテナ輸送の4072レをけん引し、人気を博しました。

 その間にも0番台の廃車は進み、2019年、遂に27号機を残すのみとなり、100番台の104号機までもが廃車となっています。

 

 同年には最後の花道として、福山レールエクスプレスやカンガルーライナーSS60をけん引しましたが、2021年には運用をはずれてしまい、活躍の場がますます狭まっているこのごろです。

 せめて、模型ではいつまでも花形列車を牽かせてあげたいものです。

 

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EF66を走らせる 4

 鉄道ピクトリアル2022年2月号EF66特集の中の、貨物輸送から見たEF66という記事を模型で再現しています。

 今回は、スーパーライナーの登場から、EF200,210登場前までです。

  1985年、高速貨B 8本を24両編成の1200トン列車としました。1200トン列車とするためには指令交換弁をブレーキに付加する必要があり、この改造を受けたコキ50000は、250000番台となりました。EF66にも減圧促進装置を付加するなどの改造が行われたとのことです。

 模型でブレーキに関連するのはエアホースくらいなので、構造的なことはさっぱりですが、そういうことらしいです。

 また、250000番台は、1000トン列車としてならば最高速度100キロの高速貨Aとして運用することができるので、1986年11月改正で、6本の高速貨Aが250000番台で運転され、スーパーライナーと名づけられました。また、同改正では、コンテナ列車に

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クム80000を併結したピギーバック輸送が始まりました。

 1987年4月1日、国鉄は民営化されJRグループが誕生しました。

 1988年3月のダイヤ改正で、スーパーライナーが増強され、うち1本は110キロ運転を行う高速スーパーライナーとしました。110キロ運転を行うために、コキ50000のCLブレーキ装置をCLEブレーキ装置に改造し、黄色に塗装変更された

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350000番台が登場しました。同時に250000番台は、

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緑色に塗装変更されました。

 1989年3月改正で、スーパーライナーを30本に増やすため、機関車とコンテナ車の増備を進めました。

 機関車の増備は、EF66100番台により行われ、1989年に

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101~108号機が、1990~91年にかけて

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109~133号機が新製されました。

 コンテナ車の増備は、110キロ走行に対応し、海上コンテナの積載も可能な

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コキ100,101が開発されました。コキ100,101型は4両固定ユニットとしてCLEブレーキ装置の電磁弁の数を減らしコスト低減を図りましたが、その使い勝手の悪さから

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1両でも運用可能なコキ104が登場して代表形式となりました。

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EF66を走らせる 3

 鉄道ピクトリアル2022年2月号EF66特集の中の、貨物輸送から見たEF66という記事を模型で再現しています。

 今回は、コキ50000が登場する1971年からレサ10000が用途廃止となった1986年までです。

 

 1969年4月のフレートライナー導入時から10tコンテナの利用が開始され、私有コンテナ制度の導入により、トラック業者による路線貨物のフレートライナー利用が進みました。

 ところが、コキ5500やコキ10000には、10tコンテナを2個しか積めず、輸送効率の落ちる事態を生じました。そこで、1両に3個の10tコンテナを積載できるよう車長を延ばした

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コキ50000が開発されました。

 ところで、岡山のトラック業者が最初にコンテナを利用したとどこかに書いてあったので、福山通運のコンテナを載せてみましたが、よく見るとコンテナに会社のホームページアドレス。このコンテナは2000年前後のものでした。

 

コキ50000は、電磁弁を使用せずにブレーキ作用を強化させた応荷重装置付ブレーキを装備し、時速95キロの高速運転を可能としました。

 コキ50000は、1971年10月のダイヤ改正で、従来の急行貨物列車を特急貨物列車に格上げして投入されました。これにより最高速度の違う特急貨物列車ができたので、最高時速100キロのものは特急貨物列車(A)、95キロのものは特急貨物列車(B)と区別することになりました。

 EF66は特急貨Aだけでなく、

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コキ50000で組成された特急貨Bの一部もけん引するようになりました。

 コキ50000の増備により、1973年10月のダイヤ改正では113本もの特急貨物列車が運転されるようになり、そのけん引のために11両のEF66が増備されています。21~31号機で、

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KATOの後期型にあたります。

 さらに山陽新幹線博多開業の1975年3月ダイヤ改正では、東海道山陽線の高速貨増発、東北山手貨物線の貨物列車増発名義で、32~55号機が増備されました。東北山手貨物線増発用のELは、EF66を下関に新製配置し、

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EF65PFを宇都宮に転属させて行われました。

 EF66は、その両数増加により、特急貨物列車のみならず、

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急行貨物列車や

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普通貨物列車までけん引するようになりました。

 また、コキ50000の増加に伴い、これに対応するC20コンテナが増加し、特急貨Aのコキ10000系にもこれを搭載可能とする改造工事が行われました。TOMIXのコキ10000は改造後の姿を製品化しています。改造されたコキ10000は、全車改造が完了するまで、車番の頭に2を付けて区別していました。改造されたものの、コキ10000にはC20コンテナを4個しか積めず輸送力が劣るため、東京大阪間のコンテナ列車は特急貨Bとし、山陽九州方面に特急貨Aを充当しました。

 

 1978年10月のダイヤ改正では、それまでの運賃値上などの理由で荷主の鉄道離れを招いてしまい、列車本数の削減が行われました。列車本数の削減に伴い、特急貨Aに併結していたワキ10000を特急貨Bに併結することになり、ブレーキ装置を改造したワキ50000が登場しています。なお、この改正から特急貨A,Bという種別が高速貨A,Bに変更されました。

 いったん本数を減らしたコンテナ列車でしたが、1984年、車扱貨物列車のコンテナ転換により、本数を増加するとともに、鮮魚輸送の冷蔵コンテナ化も進みました。

 そして、1985年、はやぶさにロビーカーを連結したことによる列車重量の増加に対応するため、

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EF66がブルートレインをけん引するようになりました。

 そして翌1986年にはレサ10000を用いた鮮魚冷蔵列車が廃止されています。

 

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EF66を走らせる 2

 今月の鉄道ピクトリアルEF66特集に、貨物輸送から見たEF66形という記事がありました。その内容を引用しながら、模型で再現してみたいと思います。

 まずは、50000系誕生前夜の1970年まで。

 

 トラックや内航海運による貨物輸送が増加する中、国鉄は、

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コンテナ特急貨物列車「たから」の運転で対抗しましたが、さらなるトラック輸送の伸びに対応するため、重量1000トン、最高速度100キロの高速貨物列車の運転を計画しました。時速100キロで走行可能とするために、

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空気ばねのTR203を履き、応荷重装置付き電磁ブレーキ装置を採用した10000系高速貨車が開発されました。

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ワキ10000、

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コキ10000、

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コキフ10000、

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レサ10000、

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レムフ10000がこれにあたります。

 

 10000系貨車の運用開始は、1966年10月のダイヤ改正からで、コンテナ列車3往復、鮮魚冷蔵列車2往復に充当されました。これまでの最高速度85キロの特急貨物列車よりもさらに速い列車なので、高速特急貨物列車と呼ばれました(鮮魚冷蔵列車の返送は特急貨物列車)。

 このときにEF66形は完成しておらず、EF65F型がけん引にあたりました。EF65が1000トンの列車を時速100キロメートルでけん引するためには重連にする必要がありましたが、そうすると電力消費が大きくなりすぎるので、

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列車重量を600トンまで減車して単機でけん引し、鮮魚冷蔵列車の「とびうお」のみ重連により運転しました。

 

 EF66の運用開始は1968年10月のダイヤ改正、いわゆる「よんさんとお」から。1~15号機が落成しました。KATOが前期型と呼んでいる庇のない66です。

 よんさんとおでは特急貨物列車の呼び方が変わり、最高速度100キロの列車は特急貨物列車、最高速度85キロの列車は急行貨物列車となりました。EF66は単機で1000トンの列車を100キロでけん引し、東海道・山陽線で13本の特急貨物列車のけん引にあたりました。

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 翌1969年4月、フレートライナーの運行が始まりました。

 フレートライナーは聞き慣れた言葉ですが、特急貨物列車とどう違うのか、恥ずかしながら、これまで全く知りませんでした。

 結論から言うと、特急貨物列車というのは列車の種別ですが、フレートライナーは貨物輸送の営業形態の一つといえます。

 ごく簡略化して説明すると、特急貨物列車においては、国鉄は発駅から着駅までの運行にのみかかわるだけだけれども、フレートライナーは荷主から発駅までと着駅から送り先までのトラック輸送にもかかわる運送形態です。

 特急貨物列車では、荷主ないし通運業者がコンテナ輸送を申し込んできたときに、コンテナ車に空きがあれば運びますというイメージなのに対し、フレートライナーでは国鉄が通運業者と一緒になって荷主とかかわるので、申し込みを受ければコンテナ車を融通して運びますという感じ。

 特急貨物列車ではコンテナ車に空きがなければ運送を断られてしまうので、荷主としては断られるくらいなら最初から長距離トラックに頼む、ということになります。それでは国鉄のコンテナ輸送が先細りなので、フレートライナーの登場となったのだと思われます。ちなみに、1969年というのは、東名高速道路が全通した年です。

 フレートライナーに関しては、こちらを参照しました。

 また、フレートライナーを調べているうちに、多治見通運さんのこちらのページに行き着きました。

 冬の北海道からはJOTの冷蔵コンテナが、夏の九州からは通風コンテナが多用され、不足を生じないように普通の荷物も通風コンテナを使って九州に運んで、九州からの野菜の輸送に備えるなど、コンテナ運用の実体験が語られていて、興味深かったです。

 黒貨車世代からみるとコンテナ列車は単純に見えていましたが、奥の深さを垣間見た感じ。気を付けないと沼にはまりそうです。

 

 本題に戻りまして、1969年10月のダイヤ改正では特急貨物列車が19本となり、フレートライナーも拡充されました。列車増に対応して、EF66は16~20号機の5両が増備されました。

 

 

 

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