EF65 F その2
昨日購入のEF65F。
パーツ類を取り付けてやろうと思ったけれども、どの時代のFにしようか決まらない。
513~517の略歴をみると・・・・
最初は東京区。まだP型が出揃ってなかったんで、ブルトレ牽引に活躍していた。昭和40年10月から昭和41年3月まで。
次は吹田二区。いよいよ10000系貨車を牽いて颯爽と東海道を駆けていたころ。F型の本来の姿。
このころまでは、けっこう整備も行き届いて、きれいだったらしい。昭和41年3月から昭和43年9月まで。
次が新鶴見。EF66によって東海道から弾き飛ばされ、首都圏と東北・上信越の運用。
車体を洗っている時間がとれないほど、動き回っていたらしく、このころのF型は汚れ放題。昭和43年10月から昭和44年9月まで。
次が広島。EF65PFにより、首都圏からも追い出された。このころから山陽筋の機関車になったらしい。
広島時代は、昭和44年10月から昭和48年10月まで。ここでは大切に扱われたらしく、いつもきれいだったとか。
また吹田二区に戻る。同時に東海道筋の機関車となり、首都圏にも姿をあらわすようになったらしい。
運用の中にはフレートライナー(コキ50000系だと思われる)もあった。昭和53年以降、密連用ブレーキ管ホース、つりあい管ホースが取り外され、F型としての機能が失われたようだ。
吹田二区には、昭和48年から国鉄末期ちかくまでいたらしい。
国鉄最後の日の配属は高崎。首都圏中心の運用となり、列車無線アンテナが付く。
模型化するにあたって、一番魅力的な姿は、昭和41年からの吹田二区時代の10000系貨車牽引時代。
新鶴見時代の汚れ放題の姿も貨物機としては好ましい。
でも、時代が古すぎる。すれ違う旅客車はグリーン車マークではなく、一等表記をつけているころ。
うちのメインは、グリーン車となった後の姿なので、いっしょに走らせる列車があまりない。
広島時代は、あまりに縁がない。
昭和48年ころの吹田二区は一応首都圏まで来ていたらしいが、新鶴見まででしょう。
私のメインの北三線には関係ない地域。
かといって、高崎時代になると颯爽と走るというよりは、廃車前の最後のご奉公みたいな感じになるし。
まあ、急いで整備することもないので、いろいろ本を見てじっくり決めましょう。
・・・・こういう風にするといつまでたっても「買ったままの姿」なのだが・・・・・
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