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EF58121

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3635 2006/11/29
KATO 3020-2 EF58上越形ブルー

EF58121号機は、昭和32年4月3日、日立製作所で落成し、高崎第二機関区に配置されました。他の機関区への貸し出しこそ何回かありましたが、昭和58年5月17日廃車となるまで、高二の配置でした。
末期の走行区間は、東北本線の上野-黒磯間、高崎線、上越線、信越本線の宮内-新潟間及び荷物列車関係で田端-隅田川間でした。
東北線関係は黒磯までの荷物列車、高崎上越線関係では、荷物列車と急行天の川・鳥海、上野-高崎間の普通列車を牽引していました。
常磐線に入って隅田川駅に出入する関係で、常磐線無線アンテナをつけていました。もっとも、末期には携帯式の無線機を携帯することにより、機関車に無線アンテナが付いていなくとも、隅田川駅には入れたようです。
形態は、上越筋の標準形です。
つらら切りつきHゴム前面窓、大型の汽笛カバー、電気暖房、縦型フィルター、固定式スノープロウを取り付けていました。

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参考文献
鉄道ピクトリアル’84-2
電気機関車ガイドブック(誠文堂新光社)
華麗なる特急電機EF58(creative boutique NEKO)

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D51837

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1000 1992/8/23
D51 837号機は、昭和18年4月、鷹取工場で製造され、戦後は長く岡山機関区で活躍しました。昭和47年には新見機関区に、さらに長門機関区に移り、昭和49年12月に廃車となりました。現在は長野県駒ヶ根市に保存されています

KATO 2006-1 D51標準型

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D51758

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3488 2006/2/25
「758号機は1942年11月2日に落成し、姫路・鳥取・豊岡・新見などの各機関区で活躍し、1974年2月12日に米子機関区で廃車となりました。1971年4月21日、伯備線でデフに鳳凰が飾られたD51-838が牽引する御召列車が走りました。このときの予備機としてデフに鶴が飾られたD51-758が用意されていました。」(ケースの説明の一部を引用)

マイクロエース A9531 D51-758御召予備機

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D51838

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1924 1999/9/25
「昭和46年の植樹祭は、広島県と島根県の共同主催で行なわれた。その際、4月21日に、御召列車が松江-岡山間を山陰本線・伯備線経由で運転され、D51-838が、けん引した。当日、米子機関区で最終整備が行なわれ本務機D51-838のデフには「鳳凰」が、予備機D51-758のデフには「鳳凰丸」(新見藩主の家紋)が取り付けられた。この運転がD51けん引最後の御召列車となった。」(ケースの説明書を引用)

マイクロエース A9513 D51-838御召指定機

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D51473

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3489 2006/2/25
「473号機は1940年1月27日に落成し、福井・浜松・上諏訪・松本・長野・新見などの各機関区で活躍し、1975年1月24日に長門機関区で廃車となりました。長野工場式の変形のデフレクターが特徴でした。」(ケースの説明文の一部を引用)
端梁にまわった白ラインのD51は、数年前の鉄道ファンに掲載されていました。こういう装飾は蒸気機関車ではめずらしいです。このタイプは信越線を走っていたようです。中央西線では1970年代前半までD51が運用されていましたが、普通のD51だったように思います。

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マイクロエース A9521 D51-473長工デフ

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DF50 564

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3485 2006/1/31
KATO 7009 DF50

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DF50 559

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393 1991/3/8
TOMIX 2201 国鉄DF50形ディーゼル機関車
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DD54 20

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392 1991/3/22
TOMIX 2203 国鉄DD54形ディーゼル機関車

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DD51 1176

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3459 2005/11/23
KATO 7008-3 DD51 後期暖地形
暖地形となっていますが、1176号機も含めて製品にセットされているナンバーは、B寒地向きのものです。
くわしくはこちら。

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C55 41

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1669 1997/12/13
KATO 2011 C55
KATOのC55標準型です。
ナンバーは、41,45,50,62の4種類。
41と62は山陰筋、45は九州、50は北海道のカマでした。

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D51499

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2504 2003/6/23
「499号機は、1941年2月1日に落成し、糸崎・鳥取・福知山などの各機関区で活躍し、1973年9月18日に奈良機関区で廃車になりました。後藤工場式の変形のデフレクターが特徴でした。解体はされずに、現在は津市偕楽公園に保存されています。」(ケースの説明の一部を引用)
まさにデフに特徴のある499号機ですが、Nのプラ製ではあまりに肉厚がありすぎる上、上端の内側への傾きが足りないように見えます。
デフの金属パーツは買ってあるのでいずれ交換するつもりなのですが、いつになることやら。
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マイクロエース A9514 D51-499 変形デフ

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D51750

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1893 1999/6/28
「昭和初期は日本の生産力増大時期にあたり、貨物用大型機関車が不足したためそれまでのD50形を近代化した設計でなおかつ甲線・乙線にも入線できるよう軸重を軽減させた機関車がD51形である。
昭和8年に製造が始まり、昭和20年までに計1115両が作られた。標準型が一番多いが、各工場で改造されたり、戦争の影響もあり、その形態はさまざまである。D51形は日本を代表する機関車であった。」(ケースの説明文から引用。)
マイクロエースが最初に作った蒸気機関車の製品がD51です。
ライトの部分が気に入らず、発売当初は購入を見送っていましたが、SLが次々と発売されるのを見て、無視しきれなくなり購入したものです。
この機関車は集煙装置をつけています。デフレクターは、煙が横に流れて運転室にかかるのを防ぐ装置ですが、集煙装置は、逆に煙が上に上がるのを防ぐ装置です。
上り坂のトンネルに蒸気機関車が入ると、もうもうたる煙がトンネルの天井にあたり、跳ね返って下に流れます。当然キャブは煙まみれ。前が見えないだけならまだしも(それ自体大問題ですが)、機関士は息ができなくなるそうです。正に命懸けの運転。そこで、煙を上にではなく後方に出す装置が集煙装置。天井で跳ね返らないので、天井と機関車の間を流れるのだそうです。
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マイクロエース A9502 D51-750

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D51906

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1914 1999/8/30
「906号機もその内の(準戦時型の・・・・ 筆者補足)1台で昭和19年2月15日に三菱重工業で新製された。戦後、量産型に準じて改装され、昭和48年に廃車となった。」(ケースの説明文の一部を引用。)
882号機に続いて906号機です。こちらも関西本線末期に活躍した、デフにマークのある機関車です。
906号機は、ピースマークだそうです。ひょっとしてタバコのピースのマークに似てるから?
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マイクロエース A9510 D51-906標準型・ピースマーク付

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D51882

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2083 2000/12/16
「昭和11年から1115両が作られ、日本を代表する機関車がD51形蒸気機関車である。昭和18~19年に製造された106両は戦争の影響で材質の悪化や代用品(木製のデフ・ナンバープレートなど)が使用されはじめ準戦時形の設計で落成された。882号機もその内の1台で昭和19年2月29日に日立で新製された。戦後、量産型に準じて改装され、昭和48年に廃車となった。」(ケースの説明文を引用)。

マイクロエース A9511 D51-882 月と鹿マーク
マイクロエースのD51は、Nゲージ参入第一弾として1996年ころ6種類くらいが発売されました。その後、様々な蒸気機関車を怒涛の様に送り出して一段落した2000年ころに、ふたたび生産されたD51の中のひとつがこの製品です。

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関西線のD51の多くは、蒸気終焉のころ、デフにマークをつけていたのだそうです。
この月と鹿のほかにも、ピースマークだとか、C62のようなつばめマークをつけていたのもいたとか。
D51882は、そのデフのしゃれたマークが幸いしたのか、茨木市の眞龍寺というところに保存されているそうです。

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ひさびさのお買物

毎月月末近くになると、いろんな物が発売されますね。
最近発売された鉄道車両関係は、対象外のものが多くて平和だったのですが、今月末から来月にかけて、ど真ん中の製品が目白押し。

今日は、トミカリミテッドビンテージから、ワーキングビークル、そして腕木式信号機。

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日産グロリア。この縦のライトは記憶に残ってます。
走っていたのは小学生のころ?
格調の高い自動車という印象をもったのは、黒塗りだったからでしょうか。
とにかく、カローラとかパプリカなど足元にも及ばない高級車だと思っていました。

続いて、ワーキングビークル
Dsc06305荷台のカラーリングの楽しいトラックは3度目の製品化。

このあたりは、コンテナでもおなじみのカラーリング。
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タイヤメーカーの派手なカラーリングも目を引きます。
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最後に腕木式信号機
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富楠駅に設置する予定ですが、よく考えたら、出発信号機だけじゃ列車が駅に入ってこれない。
場内信号機も必要だったのですね。あまり動いてなさそうなので、急いで買うこともないでしょう。

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C543

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2299 2002/2/24
「C54は、C51の後継機としてC51より重量や軸重を減らして線路規格の低い亜幹線用へ使用するために、1932年17両が製造された。仙台、高崎、宇都宮などに配置され客車列車を牽引したが、軸重の軽さが裏目に出て、仕様、性能が中途半端であったため現場では敬遠され、17両で製造打ち切りになった。太平洋戦争中に福知山に集められた。部品の不良による故障が多発したため全機休車になったが、更新修繕され1963年10月まで山陰地区で使用された。廃車も早く地味な機関車であったため「薄幸の美女」とも言われ、保存機も無い。」(ケースの説明文を引用)
説明にあるように、C51のようでもあり、C55のようでもある不思議なスタイルをしています。
客車を4~5両牽かせるのがもっとも似合う編成なのでしょうか。

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マイクロエース A6702 C54-3 回転式火の粉止め

回転式火の粉止めというタイトルがついています。煙突から火の粉が飛び出さないようにするための、クルクルまわる装置です。本来の煙突の美しさを台無しにしてしまうものであったため、「クルクルパー」などと悪口を言われていました。

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C51116

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2081 2000/12/16
「C51は国産のパシフィック第1号で大正8年から製造が開始され、9年間に289両が作られた。製造当時は18900形という形式であったが、昭和3年の形式称号の改正でC51形の形式が誕生した。
C51は東海道線の特急「燕」に使用され従来よりも2時間40分短縮の9時間で走った。このときに「超特急」という言葉が使用されるようになった。116号機は給水温め器を9600形と同じ住山式が使用された。」()ケースの説明文を引用。
給水温め器というと、丸い筒状のものが一般的ですが、この機関車には小さい四角な箱がついてます。説明文によると9600形と同じ住山式となってますが、9600にこんなのついてたかな?

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マイクロエース A6602 C51-116 住山式

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2221

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1418 1994/12/17
「1889年、東海道の全通に伴い計画された機関車でイギリス・日本・ドイツ・アメリカで生産され、実に528両にも及ぶ明治の代表的SLです。」(ケースの説明書から引用)
東海道全通に伴い・・・・ということは、120年くらい前はトーマスとかダック・オリバーみたいなのが、東海道を疾走してたのでしょう。大阪まで約550キロ。平均時速30キロで18時間ですね。

現代では、一気に目的地まで行ってしまうのが普通ですが、大正時代くらいまでは、昼間乗車して夜は駅前旅館に泊まるという旅のスタイルがあったようです。しろばんば(井上靖)の中に、伊豆湯ヶ島から豊橋へ行くのに、三島で旅館に一泊して翌朝東海道線に乗る場面がありました。

昼間だけ乗車すると、朝、東京を出て、浜松か豊橋で途中下車して一泊。翌夕大阪に到着となるのでしょうか。
そういう旅もしてみたいですが、今では駅前旅館を探すのが大変になりました。

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カワイ KP-150 B6 2157タイプ
2120形は使い勝手が良かったようで、戦後も入換用機関車として活躍したようです。
確か、DD13が2120を淘汰したんだったと思います。

模型のB6も快走してくれれば文句なしですが、思うようには動きません。
機関庫のマスコット的な存在です。

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C5345

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2301 2002/4/20
C53は、先日、流線型をご紹介しましたが、こちらは原形です。
特急用機関車なのにデフがありません。
鉄道黎明期の蒸気機関車は、それほど速く走れなかったでしょうから、デフが無くても煙は上にのぼって、機関士の視界や呼吸を妨げたりすることもなかったのでしょう。
しかし、C51、C53クラスになれば吐き出された煙はキャブを直撃したでしょうから、煙を上方に誘導する仕掛けが必要になります。その必要に気づいたのがC51やC53登場のころからなのかもしれません。
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マイクロエース A7002 C53-45 デフなし

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D5123

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1913 1999/7/25
「昭和11年3月28日汽車製造でのD51ファーストロット10両のうちの最後の落成となった。この23号機と3日前に落成した22号機は、南満州鉄道のマテイ形と同様、ボイラー上のカバーが煙突からキャブまで一体としたスタイルで新製された。さらに23号機は、キャブ窓下にタブレットキャッチャーを取り付けたため、ナンバープレートの位置をランボード上に変更する改造がなされた。」(ケースの説明文より引用)
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マイクロエース A9508 D51-23スーパーナメクジ
流線型つながりで、D51スーパーナメクジです。C55やC53と同様、流線型の形をとどめていたのは戦前だけだったようです。D52戦時形以上に牽かせる貨車の選定に困ります。もっとも、戦前のD51といったら、今で言えば金太郎とか桃太郎などの最新鋭機に相当するのでしょうから、昭和10年代前半に新製されたワム23000などを連ねていたのかもしれません。

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C5343

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2286 2001/12/23
 「旅客輸送需要の増大、列車速度向上などの要求を背景に、大正14年当時世界的に流行だった3シリンダ方式の8200形(後のC52)をアメリカから6両輸入した結果を見て、昭和3年から5年にかけて3シリンダ方式初の国産機として97両製造されたのがC53である。早速東海道本線・山陽本線の旅客列車の主力として活躍した。
 この43号機は1934年当時世界的に流行していた流線型に改造されたが、逆に保守点検に問題が多かった。そして流行の衰退と共にもとの形態に戻された。C53は3シリンダの保守点検や修理に手間がかかり、また後継機の出現や電化などの影響により昭和25年に全車が廃車になった。」(ケースの説明より引用)

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マイクロエース A7001 C53-43流線型

スマートさで言えば、C55よりもC53の方が上でしょうか。デフがない分C53の方がスマートに見えます。
ところで、C53は、3シリンダの蒸気機関車ですが、3つめのシリンダはどこにあるんでしょう?
車体中央にあったのなら、ロッドはどういう形になっていたのでしょうね?
まったくもって、不可解なメカです。

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C5520

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2080 2000/12/13
C55流線型
 20~40号機の21両が流線型で作られました。
 最近の機関車は集中配置になることが多いようですが、C55流線型は全国各地に数両ずつ配置されたようです。
 見た目は優美な流線型ですが、乗務員からも保守現場からも嫌われたようです。
 鉄道ファン1997年10月号21ページによりますと、「仕業点検では下回るのカバーを開けねばならず、点検時間も余計に要することに加え、修繕ではカバーを外す行程が加わった。またテンダ上部にもカバーがあり、炭庫上での石炭かき寄せ作業ができず、代わりに後部に石炭押し寄せ装置が設けられたがこれも不都合が多かった。さらに運転室が密室で暑いという欠点もあり、乗務員からも保守現場からも嫌われ、戦争中には下回りとテンダ屋根のケーシングが外され、その後、昭和25・26年に浜松、鷹取、小倉の3工場で一般形に即した改造がなされ」たのだそうです。

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マイクロエース A7101 C55-20 流線形

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C57177

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1934 1999/10/14
プロポーションが・・・・・・のマイクロのC57です。
斜め上方から見た場合は、それほど違和感かありません。

ちなみにKATOのC57を同じ角度で見るとこんな感じ。
Dsc06273さすがに並べてみると、マイクロ製の方が寸詰まりの感があります。

Dsc06274真正面から見たところ。
煙室の太さはあまり変わりません。実際は縮尺が違うので同じはずは無いのですが、特に違和感は感じません。

だがしか~し。
Dsc062752両並べて水平方向から見てしまうと、いけませんね。
KATOのC57は、確かに貴婦人ですが、マイクロのほうは、ぽっちゃりママさんになってます。
キャブもしっくりきません。北海道型でドアが付いているという理由だけではないようです。

マイクロエース A9901 C57-177 3次形・北海道タイプ

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79618

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1957 2000/2/24
「この機は倶知安機関区でヘッドライトを2つに増設して胆振線・岩内線で使用された。」ケースの説明文から引用。
2つ目のキューロクは、SL末期の鉄道雑誌で知りました。19640号機が載っていたと思います。
はじめて見たときは、「べし」みたいなカッコに笑いつつも、かっこ良い感じもしてきて、とにかく変わった機関車だと思ったものでした。
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正面からみたら、やっぱり「べし」だ。
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マイクロエース A9708 9600形-79618 北海道重装備(2つ目タイプ)

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C623

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1912 1999/7/24
「3号機は、昭和23年6月18日にD52458号機を種車にして落成された。当初、満鉄タイプのメカニカルストーカー(自動給炭機)が取り付けられたが、後に小型軽量の給炭機に交換された(C625号機以降は、最初から小型のものが取り付けられている。)。

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マイクロエース A9802 C62-3 函館本線 小樽築港機関区
2号機を購入された方は当然のごとく3号機も購入されたのではないでしょうか。2号機と3号機の重連は、ゴールデンコンビです。牽かせる客車も出すのかと思ったら、なかなか出してきませんね。

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C622

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1911 1999/7/24
「SLのスーパースターといえば、このC62である。東海道本線では、特急列車の先頭にたち、D51とともに日本を代表する機関車である。この2号機は昭和23年5月29日に、D52455号機を種車に落成された。昭和25年にこの機関車を有名にした「つばめマーク」がデフレクターに取り付けられた。」ケースの説明文より引用。

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マイクロエース A9801 C62-2 函館本線 スワローエンゼル
マイクロエース9600形に続く第4弾がC62だったと思います。
いっしょに出されたのが3号機。売り方がうまい!と思ったものです。
この機関車にはニセコのマークがついています。
ニセコは魅力的な列車です。スロ52に43系客車、北スミの荷物車郵便車。
この編成にマシ35が加わると「ニセコ」の前身「ていね」になります。

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SLのモデルを見て

 ここ数日、SLのご紹介をさせていただいております。
 SLは、その末期の姿を見たことがあるとはいえ、電気機関車などに比べればはるかにその体験は少ないわけで、SLのモデルを見て実車との違いを指摘できるような知識は持ち合わせていません。
 だから、C51の製品がでてくれば素直にC51だと言って喜び、C57が製品化されれば、そうそうこういう形をしてたんだとうなずいたりします。
 まあ、C12とかC56とか、極端にボイラーの細い機関車のモデルについては、さすがに「?」でしたけれどもね。

 私の場合、この第一印象が大事であるとともに、第一印象OKなら実車との違いは問題にしない傾向にあります。
 「傾向にあります」というのは、実車を良く知っていれば、おのずと細かいところに目が行くわけで、そういう場合は細かいことを言い出します(特に115系湘南色)ので、実車との違いを全く問題にしないわけではないということです。

 話が脱線しましたが、第一印象という点でいえば、これまでご紹介したものは概ねOKのレベルに達しています。ただ、アップにして撮影すると、これまた印象が違ってくるもので、ヘッドライトと先輪が気になりました。

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 KATO製のはいいんですが、マイクロ製は点灯させるために、ヘッドライトが煙室の上に完全にのっかっちゃってます。
 ライトといえば車両の目。目は口ほどにものを言うわけでありまして、ここが違ってしまうと、いきおい悪い印象が残ってしまいます。SLの知識のない私でも違いは一目瞭然です。
 ライトは点灯しなくてもいいので、銀河パーツに交換したくなります。
 それからマイクロ製はナンバープレートがしょぼい。
 どこかから、エッチング製のプレートもでてましたよね。ライトとプレートを取り替えたら、見違えるような気がします。

 Dsc06247_1
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 次に先輪。これはKATO製もそうですが、タイヤは厚すぎ、フランジは高すぎ。ちょっと許容範囲を超えているように感じます。これがHOなら絶対アウトです。
 ただ、小さなNの機関車を至近距離から見上げるように見る、なんてのは普通はありえないことなんですね。そういう観点でいうと、こういう「あらさがし」をすること自体が間違っているのかもしれませんね。
 Nの機関車が脱線せずに走ってくれるのは、こういう車輪のおかげですから。
 以上、ちょっと感じたことでありました。
 

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C55門鉄デフ付

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1910 1999/7/17
 KATOのC55門鉄デフタイプ。
 1997年だったか、普通のデフのC55が発売され、門デフのC55が待たれていたところ、2年後に発売となったものです。
 C55といえば・・・・・九州(日豊本線)という方と北海道(宗谷本線)という方に分かれると思いますが、私の場合は日豊本線を連想します。
 それは、SL末期の鉄道雑誌によく日豊本線が取り上げられ、門デフのC55とかC57が掲載されていたから。特に、痩身のパシフィックの門デフはかっこいいですから、印象に残りますね。
 宗谷本線の方も雑誌に取り上げられなかったわけではないですけれども、北海道の場合はSL末期といえどもそこら中で走り回っていたから、宗谷本線のC55だけがクローズアップされているわけではありませんでした。
 実際は、宗谷本線のC55は、駅撮りとはいえ、撮影したことがあり、日豊線の方はそういうチャンスに恵まれなかったんですけれども、それでも日豊線の印象の方が強いです。
 それで、かっこいい門デフC55ですが、門デフにもいろいろあったようですね。数年前の鉄道ファンだったか特集がありました。まだ、ナンバーをつけていないので、何号機がプロトタイプなのか調べてみようと思います。

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KATO 2012 C55門鉄デフ付

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D60 31

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2348 2002/10/8
「D60は亜幹線用の大型貨物機であるD50が余剰になり、軸配置を1D1から1D2に変更して軸重を軽くし、レールの弱い下級線区にも入線できるようにした機関車で、昭和26年から昭和31年にかけて78両が改造されました。軸重を軽くする改造方法は、他にもD51→D61・D52→D62・C59→C60でも行なわれています。改造後は、山口線・北上線・紀勢本線・筑豊本線・久大本線・根室本線など地方線の貨物用として各地で使用され、最終廃車は昭和49年8月でした。」ケースの説明文より引用。

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マイクロエースA6902 D60-31 直方区

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D50140

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2300 2002/3/23
「増大する貨物需要に応えるために、当時最大の9600形より強力なD50形が計画された。大正12年から昭和6年まで380両が製造され、当初は9900形と呼ばれていた。車軸配置は国産初のミカド形と呼ばれる1D1を採用し、「デゴマル」の愛称で四国を除く全国で活躍した。一部は従台車を増設しローカル先でも使用可能なD60形に改造された。
 140号機は対象15年19939号機として誕生、昭和46年まで九州の筑豊本線で活躍、現在も梅小路蒸気機関車館に静態保存されている。」(ケースの説明文より引用)

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マイクロエースA6802 D50-140
平成14年の製品でD形ということで、一見しておかしなところはありません。というか、重厚さの感じられる出来栄えです。2軸の石炭車がお供です。

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49618

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1880 1999/5/1
「大正時代の代表的貨物用機関車で、大正2~15年の間に770両が製造され、四国以外の全国で活用されキュウロクのニックネームで親しまれた。大正7年に室蘭線で牽引テストを行い、セキ形貨車75両(3,000t)の石炭列車の牽引に成功した。しかし牽引力よりも機能性に優れていたため、50年以上使用され、SL時代最後まで生き残ったカマもあった。九州に渡った9600形はキャブ下に点検窓を開ける改造がなされた。」ケースの説明文から引用。

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マイクロエースA9704 9600形-49618 デフなし(九州タイプ)
マイクロエースのD51,C59に続く第3弾だったと思います。
それまで、プラ製蒸気の車種はあまりに貧弱で、9600形はありませんでした。
今では、KATOもTOMIXも発売しましたけれども。
しかも、デフあり、デフなし、米坂線タイプなどのバリエーション。
迷わず全種類購入させていただきました。

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EF58小窓つらら切付4

スノープロウ無しの先台車に交換したゴハチ。
もう一度写真を見直したら、先端ハリが・・・・・・・・。
そういや、青大将つらら切り付は先端ハリの狭い先台車を再現したんだった。
アッシー2個も買っちまった。

最後までこのタイプだったのは、36~39号機だけのよう。
だから売れ残ってたのね。
再度交換は必至だが、ハリが普通のタイプは売り切れだった。

手持ちの大窓ゴハチと先台車振り替えて、青大将のナンバーをブドウ色に塗るか。
あるいは、特急色用のグレーの先台車を塗り替えるか。

はたまた、上越形の先台車のハリに固定されたステップを削り落としてスノープロウと台座のみ取り替えるか。

なかなか、思い通りにはいきませんなあ。


続く

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EF58小窓つらら切り付3

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小窓つらら切付の続編です。
153号機を念頭に、パーツを取り付けました。
宇都宮の機関車にはスノープロウがつきません。
上越形の先台車から、青大将用の先台車に代えました。車輪は上越形用のものの方が良いようです。

宇都宮のつらら切付EF58は、58,89,102,152,153がありました。
少数派のつらら切付の中でも、微妙に差異があります。
58と89号機は、かなり前からHゴム窓。
102は汽笛カバー付
152の避雷器は、EF60のようなカバーのないもの

Dsc06243パーツは、製品付属の物のほか、これらを使用しました。

あとはナンバーです。3049小窓Hゴムのナンバーに150番台が多く含まれてます。
もちろん153はありませんが、「3」の部分のみそぎ落としたものを貼り付けるか?

続く

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D52 403

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1981 2000/6/17
御殿場線で活躍したD52です。
「403号機は昭和20年に製造され、最後は国府津機関区に所属し、御殿場線の客車・貨物列車を牽引した。回転式火の粉止・ATS装置などの改造が見られる。」ケースの説明文の一部を引用。

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マイクロエース A6401 D52-403 御殿場線

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48647

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2041 2000/8/26
ハチロクの御召仕様です。
「昭和44年10月31日、長崎国体からの帰路、平戸口-有田間で御召列車が運転された。平戸口-伊万里間を48647・28629の重連、伊万里-有田間をC11-165がそれぞれ牽引した。
8620型牽引の御召列車は1年ぶりの運転(昭和43年10月福井国体の御召列車を88635が牽引)となり、これが8620型としては最後の牽引となった。」ケースの説明文より引用。

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マイクロエースA6109 8620型-48647お召指定機

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68692

Dsc06223
1952 1999/11/20
KATOのC50と比べるとボイラーの太さが気になります。
現代の技術水準でもう一度作り直してもらいたいところです。
C12とかC56もお願いしたいですね。
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マイクロエース A6101 8620形・デフ付(68692)
「明治時代末期に輸入された大型機関車の性能をおとさぬように小型軽量化して設計、製造されたのが8620形で、9600形とともに日本の蒸気機関車製造技術を確立した名機である。北は樺太から南は台湾まで当時の日本全国どこでも見ることができた。大正4年~昭和4年の16年間で672両作られた。68692は大型のデフが付いた標準的なスタイルで四国などで活躍した。」ケースの説明文より引用。

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C50 123の予定

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1048 1992/10/18
KATO デフ付のC50です。
セットされているナンバーは全て小山機関区のものです。
123号機は、小山駅近くの公園に静態保存されています。
昭和45年ころまで、小山駅ではC50があっちへ行ったりこっちへ来たり、せっせと入換作業をしていました。

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C50 142の予定

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1049 1992/10/20
KATO 201 C50
KATO最初の機関車であったC50が一旦生産中止となり、その後リニューアルされた当時の製品だと思います。先輪にはなんの装飾もありません。しかし車体は現在でも通用する出来になっています。当初デフなしが発売され、のちにデフ付が発売されました。

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初期の製品だけに、テンダーの集電板とモーターを結ぶリード線が見えています。

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ナンバーは、78,93,106,142が付属しています。
78と106が小山機関区、93が新鶴見機関区、142が糸崎機関区の所属でした。
142にするとC59の同僚ということになります。

ただ、古い製品だけに動きが渋く、なかなか手をつけられずにいます。

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C59 161

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1874 1999/4/12
「C59-161号機は、昭和21年7月4日に日立製作所で製造され、下関機関区に新製配備された。昭和33年4月18日広島第二機関区に転属、昭和37年10月5日に下関機関区へ転属、昭和39年9月29日に糸崎機関区へ彩度転属、昭和45年10月1日に休車となり廃車された。161号機は寝台急行あきの最終列車を牽引した機関車である。」ケースの説明文より引用。

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マイクロエースA9610 C59-161
マイクロのC59シリーズには、ほかに門デフをつけたものと重油燃焼専用のものがモデル化されていました。
門デフは買わなかったことが悔やまれます。

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C59 66

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1876 1999/4/20
「C59-66号機は、昭和18年7月14日に川崎車両で製造され、糸崎機関区に新製配備になった。昭和36年10月4日に広島第一機関区に転属となり、昭和39年12月5日に廃車となった。テンダーを10-25Aに改造され、鋳鋼台車に変更された。」ケースの説明文より引用。

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マイクロエースA9609 C59-66(戦前型)
マイクロの機関車はナンバーまで取り付けられていて、Ready to Runの状態になっているのは良いと思います。
メーカーにとっても、わずかな差異をつけることで別の製品として扱うことができ、販売量も増えるのではないかと勝手な推測をしてしまいます。
KATOさんの場合は、通常4種類のナンバーがセットされていますが、全部使うために4両買うなどということはありませんね。

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C59 164

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1877 1999/4/20
「戦後型は舟底型テンダーに鋳鋼コロ軸受台車に変更され全長がのびて国鉄蒸気で最長となった。呉線で急行あきをヘッドマーク付で走る姿が最後の花道となった。」(ケースの説明文より引用)

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マイクロエース A9602 C59(戦後型)
C59が旅客用だったためか、一連の製品にはヘッドマークがつきました。
なかなか美しいヘッドマークです。

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C59 42

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1751 1998/5/2
「東海道・山陽線で使用されていたC53の代わりとして昭和16年から製造された旅客用の機関車である。全部で173両が製造され戦前型1~100号機と戦後型101~132・156~196号機に分類される。
戦前型はテンダーに10-25台枠付テンダーに板台枠台車が使用された。」ケースの説明文より引用。

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マイクロエース A9601 C59(戦前型)
マイクロエースのNゲージ第2弾はC59・C60でした。確か1年くらいのうちに10種類の製品が発売されました。これは、C59シリーズの第一弾C59戦後型です。マイクロさんは、売り方がうまいですね。C59シリーズが10種類あるとはいえ、テンダーとかデフ、色などで違いをだしているだけで、ほとんど同じつくりです。
にもかかわらず、全く違う製品のような気がして買ってしまうんですね。


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C59 67

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1819 1999/1/13
「C59 67号機は、昭和18年7月16日に川崎車両で製造された。新製時は他の機関車と同じ黒塗装であったが、昭和29年2月27日に広島工場で改造の際、上回りをチョコレート色に変更された。67号機は製造当初よりテンダーが10-25Aで鋳鋼台車が使用された。」(モデルの説明文を引用)

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マイクロエース A9607 C59-67(ブラウン)
もう一両の試験塗装機です。ぶどう色とも異なるブラウンです。最も実車の色合いを忠実に反映しているのかどうかはわかりませんが。
ブラウンの方はグリーンほど人気がありませんでしたが、それでも、なんとか買えた一両です。
こちらも、広島第一機関区の配属でした。

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C59 79

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1820 1999/1/13
試験塗装のC59です。グリーンに塗られたものとブラウンに塗られたものがあったそうで、こちらはグリーンの79号機です。この塗装が正式採用されていたら、SLに対する印象もずいぶんと変わったものになったでしょうし、近代化改造客車の色も、青ではなく緑だったかもしれませんね。

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モデルはマイクロエースA9608 C59-79(グリーン)
このモデルは発売と同時にプレミアムがつくほど人気がありました。
私も買いそびれてあきらめていたのですが、発売から2ヶ月ほど経ったある日、よく行っていた量販店に残っていて、格安で購入できました。

実車は広島第一機関区にあって、山陽線の特急・急行に使用されたようです。

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C59 108

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1925 1999/9/25

「東海道本線のお召し列車は戦前のC51、戦後のC59が使用される場合が多かった。この中でC59-108は昭和33年4月5日、九州にて行なわれる全国植樹祭の時に、東海道・山陽線の京都-姫路間を牽引した。これが東海道本線で運転された蒸気機関車牽引最後のお召し列車となった。」ケースの説明文より引用。

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モデルは、マイクロエースA9611 C59-108御召指定機
こうやって、アップにして撮るとやはり腰高が強調されてしまいますね。
実車は、1960年代に九州に移って活躍したようです。

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D51 51

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1829 1999/6/28
「昭和初期は日本の生産力増大時期にあたり、貨物用大型機関車が不足したためそれまでのD50形を近代化した設計でなおかつ甲線・乙線にも入線できるよう軸重を軽減させた機関車がD51である。
通称ナメクジと呼ばれたこの機は半流線形で給水温め器・砂箱蒸気ダメを煙突の後ろに一体カバーで覆ったのが特徴である。22・23号機はカバーをキャブまでのばし「スーパーナメクジ」と呼ばれた。(ケースの説明文より引用)

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マイクロエースA9504 D51-51
マイクロエースの最初期の製品です。
実車は、1960年代前半吹田区にあり、デフを外して入換作業に就いていました。D51のデフなしというのも面白いものです。製品はスノープロウを装備しています。吹田の前の山陰時代のモデル化でしょうか。

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D52 204

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1982 2000/6/17
D52戦時型です。
「第2次大戦中の昭和18年に石炭輸送を船から鉄道に全面的に切り替える方針の下、1200t牽引が可能な機関車として誕生したのがD52です。設計ではD51形の牽引力よりも120%の性能が得られるはずであったが、戦局の悪化・製造方法の簡易化などの理由により実際には1000tの牽引力しか得られなかった。204号機は昭和19年に川崎車両で製造された。木製のデフレ区ター・炭庫などの代用品ならびに核型のドーム等いわゆる戦時設計で完成した。」(モデルのケースの説明文から引用)

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モデルはマイクロエースA6402 D52-204戦時型
戦前や戦中の機関車は何を引かせればよいのか困ります。
発売されている貨車類の中で戦争中走っていたものはワム23000とかワム50000あたりでしょうか。トキ15000ですら戦後製だったと思います。
実車は昭和30年に吹田、一旦姫路に移った後、五稜郭に転じました。

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D62 3

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2349 2002/10/8
「D62はD52の従台車を2軸とし、軸重を軽減し乙線規格(85km/h)用の貨物用機関車で、1950年3月に14両、1951年3月に6両が浜松工場で改造されました。国鉄の蒸気機関車として1D2(バークシャー)形の軸配置を持つ最初の機関車です。当初は稲沢機関区・米原機関区に配置され、東海道本線に使用されました。1955年には稲沢機関区・吹田機関区に移りましたが、1959年になって東北本線に移り一ノ関機関区に配属され、1966年まで活躍しました。
3号機は吹田機関区時代、東海道本線東山・逢坂山トンネル内の防煙対策として、集煙装置が取り付けられました。」モデルのケースの説明文から引用

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モデルはマイクロエースA6502 D62-3 集煙装置付
同時に一ノ関機関区仕様で主灯、副灯ともにシールドビームのユーモラスな形態のものでしたが、残念ながら買いそびれています。

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C62 2

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271 1983/1/14
スワローエンゼル2号機仕様です。18号機が名古屋所属だったのに対し、2号機は宮原機関区の配置でした。

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モデルは私のSL第1号となります。
ベースはKATOの203(3桁製品)のC62
当時発売されたばかりの銀河パーツを奮発して取り付け、タッチアップしたものです(かなりはげてしまいましたが)。
エアブラシによる全塗装はしていません。一応北海道仕様のつもりで作りましたが、マイクロから2号機が出てしまったので現在休車状態です。
実車は、糸崎を皮切りに、宮原、小樽築港と転じ、昭和47年梅小路機関区に移って現代に至ります。

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C62 18

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999 1992/8/23
C6218です。有名なC622同様、デフにつばめのマークがついてました。2号機とは、つばめがやや下向きに取り付けられていた点が違うそうです。赤いナンバープレートは名古屋機関区の特徴だったと思います。

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モデルは23号機と同様にKATOの2003がベース。
やはり銀河パーツのC62セットを取り付け、エアブラシでつや消し黒に塗ったものです。
単一色で塗っただけですが、プラの地肌とは一味違った趣となります。
実車は下関を振り出しに、名古屋、梅小路、下関、広島、糸崎と転じ、1968年に廃車となったようです。

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C51 285

Dsc06171
2060 2000/10/16
C51です。
2000年ころは、蒸気全形式を製品化するという掛け声のもと、毎月蒸気機関車が製品化されていました。C51が製品化されるころには、微細な表現もできるようになりました。
写真とにらめっこすれば、いろいろ難点がでてくるのだと思いますが、パッと見はC51です。C60やC61もおなじです。Nゲージはそれでいいんじゃないかと思います。細密化や正確なプロポーションはHOに任せて、NではどうみてもC51にしか見えない機関車にスハ32系でも牽かせて、ちょっとした風景の中を走らせる。私はそれで十分です。
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モデルは、マイクロエースA6601 C51-285本省式
「C51は国産のパシフィック第1号で大正8年から製造が開始され、9年間に289両が作られた。製造当時は18900形という形式であったが昭和3年の形式称号の改正でC51形の形式が誕生した。
C51は、東海道線の特急「燕」に使用され、従来よりも2時間40分短縮の9時間で走った。このときに超特急という言葉が使用されるようになった。285号機は給水温め器が本省式丸型と呼ばれ、少し形を変えてC51以降の機関車に広く使われるようになった。」モデルのケースの説明文より引用。

285号機は、戦後は北海道に渡り、1960年ころまで室蘭本線で活躍していたようです。

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C60 101

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1875 1999/4/12
C59戦後型を改造したC60の100番台です。
あかつきのマークをつけています。

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モデルは、マイクロエースA9603 C60-100番代
あかつきのマークが付いていたので、てっきり九州のカマかと思いましたら、実は水戸とか青森に配属された東北のカマでした。

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C60 7

Dsc06165
1789 1998/7/18
はつかりはくつるのマークをつけたC60です。
自分で撮った写真を見てびっくり。今日の今日まで、はつかりのマークをつけていると思っていました。
シールドビームの副灯と煙突の両脇の除煙板が魅力の機関車です。
確か、HOても天賞堂がこのタイプを発売していましたね。

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モデルは、マイクロエースA9604 C60東北型
マイクロエースがNゲージに参入して間もないころの製品。このころは、C59とC60を怒涛のように発売していました。その中の1両です。
「C59も動力近代化の波には勝てず電化と共に地方へ転属されることになり、軸重を軽くするために従台車2軸に改造されて形式もC60になった。47両が改造された。
C59戦前型からの改造で1~39号機が東北・常磐・鹿児島その他の先駆で活躍。東北地区のC60はシールドビーム・煙突用デフなどを取り付けた機関車も多かった」モデルのケースの説明文より引用。

7号機は、1955年に仙台、以後盛岡に配置されていました。
資料が無いのですが、ヨンサントオの際には現役を退いたのではないかと思います。

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C61 20

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2172 2001/2/14
はつかりのヘッドマークをつけたC61です。
マイクロエースの製品そのままです。C60との重連のため先頭のカプラーをアーノルトにしてありますが、これでは連結面があきすぎますね。

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製品は、マイクロエースA6001 C61-20・東北形重装備
「第二次大戦が終わり、食料の買出しなどで旅客列車の輸送力が必要となっていたが、それまでが貨物輸送優先だったため旅客用機関車が不足していた。当時機関車の新製はGHQによりできなかったため、余剰だったD51のボイラーを利用して旅客用機関車に改造することとなりC61が誕生することになった。
 20号機は、昭和24年7月31日にD511094を種車として三菱重工業で改造され、東北本線・奥羽本線などで使用された。」モデルのケースの説明文より引用。

20号機は1955年から1965年まで仙台、1969年には青森に配属され、当初ははつかりの仙台以北、末期には奥羽線の普通列車を牽いていたようです。

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C62 23

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1291 1994/3/30
はつかりのヘッドマークをつけたC62です。
29号機のナンバープレートをつけていますが、尾久所属だった23号機にしようと思い、銀河パーツでドレスアップしています。ナンバープレートも既に購入しているのですが、手をつけずじまいになっています。

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ベースは、KATO 2003のC62
これに今は絶版となっている銀河のC62パーツセットを取り付け、エアブラシで半つや黒を吹いたのだったと思います。はつかりのヘッドマークはKATOから出ていたヘッドマークのセット。これも絶版になってしまいました。

23号機は、1955,1959,1961年には尾久機関区にいて、東北・常磐の客レを牽いていたようです。
常磐線電化後の1964年には平機関区に移っています。
1967年の常磐線全線電化まで、平・仙台間において寝台特急ゆうづるを牽いたというのは有名な話ですね。

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在籍車両ご紹介

ここのところ更新をさぼりがちになってます。

手を動かした結果をアップするには、時間が足りません。
かといって、何もしないのも残念なので、手持ちの車両たちを紹介させていただくことにしました。

まずは、蒸気機関車からはじめようと思います。

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ホワイトカラーエグゼンプション

昨年29日からの正月休みも今日でおしまいです。
5日の午前中だけ仕事始めに行きましたが、顔合わせ程度でしたので、仕事は明日からということになります。

子供が小さいので、完全休養というわけにはいきませんが、のんびりさせてもらいました。
これだけ休みがあるなら、どこかに行けばいいんでしょうが、そうもいかず。
結局何かやったかといえば、フォルマーのキットを組んだくらいでした。

さて、昨年末には、ホワイトカラーエグゼンプション導入という答申がでましたね。
私は残業代支払う側ですが、それでも、オイオイそこまでやるのと思いましたよ。

とりあえず今年は法案の提出はなさそうで良かったです。


阿部首相も、日本人は働きすぎで、一家で夕餉の食卓を囲んだほうがいいんだと、感想を述べてましたね。
まあ、美しい国を目指す首相としては、当然の発言なんでしょう。

ただ、ホワイトカラーエグゼンプションの建前は、てきぱきと済ませれば、残業しなくても仕事は終わるんだということを前提としてるようで、そのとおりなら首相のコメントは、この制度導入に反対する理由にはならんわけなんですけどね。
首相もそうは考えていない・・・長時間労働につながる・・・・ということなんでしょう。

そろそろ賃金上げる時期でしょう。
金は天下のまわりものですから。

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EF58小窓つらら切り付2

せっかく小窓に加工したEF58なのに、ぜんぜん小窓ということが目立たない件ですが、原因は小窓にあるのではなく、Hゴム車にあるのではないかという気がしてきました。

実車の写真を見ますと、窓ガラスは光を反射してピカピカ、車体は汚れでつや消し。
それで、窓の形がよく見えます。これは小窓もHゴムも同じ。
ところが、Hゴム車の場合は、そのHゴムがよく見えるのです。

しかるに、NのHゴム車、特に黒Hゴムの場合は、Hゴムがあるのかないのかはっきり判りません。だからHゴム車なのか、小窓車なのか判然としないということになっているようです。

Dsc06148そして、Hゴムがはっきり判らないのは、Hゴム自体が引っ込んでしまって目立たないのが原因の様。


Dsc06149(鉄道ファン1975年10月号 54ページより)
Hゴムは、車体よりも飛び出しています。だから、実車のHゴムはよく目立つのだと思います。

では、NのHゴムも車体よりもとびださせるか。
これをやるには一体化されている窓パーツから窓部分のみを切り出さねばなりません。
まあ、少し余裕が出来たらチャレンジすることにいたします。

続く

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EF58小窓つらら切り付

1970年代前半まで宇都宮運転所に配属されていた小窓つらら切付のEF58にトライしてみました。
昨年11月末に用意した前面窓を使用します。

Dsc06143まずは窓ガラスを外します。製品はHゴム窓なので四隅にRがついています。

Dsc06144下辺のRを削り落とします。
小窓の方がHゴム窓よりも若干天地が高いので、下辺にやすりがけして広げます。

Dsc06145小窓の窓ガラスを入れてみました。

Dsc06147Hゴムの上越形と並べてみましたが、全く目立ちません。
小窓であることを目立たせるにはどうしたらよいか、3連休の課題です。
実車の写真を見比べてみます。

有名な89号機は、比較的早くHゴム化されていたようです。
小窓つらら切り付は、102・152・153号機あたりでした。
しかし、これらの機関車も、1980年ころにはHゴム化されたようです。

続く

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箱根駅伝

元旦に、フォルマーのキットを完成させたら急に制作意欲が湧いてきて、この2日で2つも完成させてしまいました。
Dsc06137
Dsc06138駅伝みながら組み立ててましたけど、今年の駅伝も見ごたえありました。

往路5区
まさか、4分以上の差をひっくり返して順天堂が東海大を抜き去るとは思いませんでした。
あのランナー、峠の神様と呼ばれてるんですね。テレビの画面でトップとの差がどんどん縮まっていくのを見ていたときは、ほんとに興奮しました。でも、ロードだから神様なんであって、トラックでは平凡なタイムなんだそうです。彼は箱根駅伝という舞台を見つけて自分の力を出し尽くしたんですね。自分の活躍できる場を見つけられた人。すごく幸せですね。

それにしても、ただ走るだけの競技なのに、どうしてこうも感動するんでしょう。
みんな一本の「たすき」を渡すために一生懸命だから、その姿にうたれるのかな。

自分の力を十分に発揮して笑顔でたすきを渡すランナー。
実力以上の走りで、たすきを渡すと同時に倒れこむランナー。
挽回しようとコース途中で力を使い果たし、フラフラになりながらもたどり着くランナー。

いい加減なやつなんて一人もいない。皆たすきをつなぐという目的のために一生懸命。
きっと、そんな姿に感動を覚えるんでしょうね。


それに、箱根駅伝は優勝争い以外にも見所がある。

たとえ最下位近くでも、うかうかしてると、繰上げスタートで「たすき」が途切れてしまう。
だから、「たすき」をつなげるかという場面は、優勝争い以上にどきどきはらはら。

今年も神奈川大と学連選抜で繰上げがあったけど、あれはつらいな。

それから10位前後のシード権争い。
10位までは翌年の出場権を獲得。11位からは45校くらい参加する予選会を勝ち上がらなくてはならない。
まさに天国と地獄。
7~9区あたりでは、10位と11位が頻繁に入れ替わって、これまたどきどきしました。

最後に、順天堂大学、優勝おめでとうございます。
昨年、意識を失いながらも「たすき」をつないだ先輩がいたからこそ、今年の優勝があるとキャプテンが言った言葉。じーんときました。

来年はどんな感動をあじあわせてくれるでしょうか。

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青海チベット鉄道

今晩NHKで放送した「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく」。

標高5000m超の地点を通る鉄道に感心しました。

まず、地面が凍土で、冬は膨張し、夏は収縮してしまうのだとか。
これじゃ線路など敷けやしない。そこで、アンモニアを使って、凍土の温度変化を防止する装置が設置されているのだとか。日本じゃ考えられない設備ですね。というか必要のない設備か。
アラスカとかシベリアにはあるんでしょうね。こういう工夫が。

次が与圧した客車
濃緑に黄色のラインだから普通の中国客車かと思って見ていたら、床下機器がボディマウント仕様になってる。
こりゃ、低地を走ってる客車とはちがうなと思ったら、旅客機と同じように与圧してるんだと。
標高5000mなんて高いところに行ったことなどありませんが、空気が薄いことは容易に想像がつきますね。
だから与圧して乗客が高山病になるのを防いでいるそうです。
窓も開かないどころか二重窓。

そして、2000キロを27時間かけて走る。
昔の富士とか、桜島・高千穂のよう。
車両は、高地仕様の新車らしいけど、車内設備は20系客車のようだった。
ベッドの狭い2等寝台8両とリクライニングしない座席車数両、それに食堂車。
これで27時間乗りとおすのは辛そうです。

でも、景色はピカイチ。大陸の雄大な山々とか広大な平原の中をひたすら走る。
建物や畑どころか、林さえない大地を走り抜ける列車は、まるで模型の様でした。

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謹賀新年

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新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。

今年は穏やかな元旦でした。
テレビで見た富士山を背にした初日の出は感動ものでした。
今年1年が今日のような穏やかな日々であるといいですね。

今日は、昨年3月から放置していたフォルマーのストラクチャーを完成させ、これまでに組み立てたものと並べてみました。イメージ的には、ハウステンボスのようなテーマパーク。そういう街中をリゾート特急が走り抜ける、そんな設定です。

ストラクチャーをたくさん組み立てないと街にはなりません。気長に組み立てることといたします。
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