« WALKING TOUR | トップページ | 中央特急に乗る »

尾久客車区東大宮派出

くさたんさんの 鉄道に萌え にお邪魔したときに、東大宮の車両基地のことを書き残してきました。
東大宮が特急電車であふれかえっていたころ、自転車で行こうと思えば簡単に行けたのに、一度も行ったことがなかったことです。

そういえば、昔の鉄道雑誌に東大宮の特急電車の留置状況が載っていたと思い、鉄道ファン誌をひっくりかえしてみたら出てきました。

1976年11月号22ページ以下からの引用です。
「早朝の東大宮車両基地、朝もやをついて出区準備をする車両群、今日一日、多くの乗客の泣き笑いを乗せて、各線に旅立つ前の静けさの中にも張りつめた時間である。

 ここ東大宮基地は、東北・上信越を経由して、首都圏へ入り込んでくる長距離列車の中枢であり、尾久と並び、北口の輸送の要となっている。

 見渡す限りの群線に勢ぞろいした車両は、そのほとんどが特急電車であり、ここが客車区の派出(正式名称は、尾久客車区東大宮派出)であることを考え併すと、まさに電車時代の感を深くせざるをえない。

 日によって多少の変更はあるが、東大宮基地の基本在線計画では、今朝もまた、図1のように、豪華な日本の特急電車オンパレードが見られたはずである。

 ”あさま”・”とき”・”ひばり”等代表的なL特急のヘッドマークの中に、日本海縦貫線を巡り、長駆大阪からやって来た向日町運転所の485系による”はくたか”や北の青森に向かう流麗な583系の”はつかり”等もまじり、特急電車の広域な活躍を目のあたりに見る思いである。

 そして、上野へむけて次々と出区して行く編成を眺めていると、屋根上に特徴のある高圧がい子をのせた交直流特急電車が、圧倒的に多いことに気がつく。事実、東大宮基地出区となる定期の特急電車14編成中、実に10本までが交直流電車である。・・・・・・」

Photo

Dsc06438
Dsc06439

手持ちの車両を使って、東大宮のまねをしてみました。
それにしても、東大宮がにぎわってたとき、・・・・止まってる電車なんて撮るにあたいしないみたいな・・・・・
後悔先にたたず・・・・・・

Dsc06491

Dsc06493

Dsc06494

Dsc06495

Dsc06496

|

« WALKING TOUR | トップページ | 中央特急に乗る »

001 鉄道模景」カテゴリの記事

コメント

e231green管理人様こんにちわ(^^)いや~壮観ですね!東大宮は中学生の頃コンパクトカメラを片手に友人と出撃した思い出がありますが、なにせズームも望遠もないですから・・・散々でしたが壮観な姿は今でも脳裏に焼きついています。しかし管理人様のコレクションは凄いですね!実車にも長けていらっしゃるし、今後も勉強させて頂きます(^^)

投稿: くさたん | 2007年2月11日 (日) 午前 10時54分

くさたんさん、こんばんわ。

こうやって並べてみると、また別の魅力があることを発見しました。
ところで、これだけ並べてもマイクロ製は1本もありません。

国鉄特急は先行2社が押さえきっているというか、
マイクロの商品戦略から完全に外れている(今さら参入しても勝負にならない?)というべきでしょうか。

投稿: e231green | 2007年2月11日 (日) 午後 08時58分

近くにある物は、いつでもそこにあると思っているうちに、いつかはなくなってしまうのですね。 私は大阪出身ですので、家の近くではないですが、宮原電車区や向日町運転所へ足を運ぼうと思うと、そう難しいことではありませんでした。 でも実行には移すことなく、今となって後悔している次第です。向日町なんて、山陽、九州、北陸に向かう急行、特急列車の編成が勢ぞろいした写真を何度も見ました。新大阪にクロハ181を先頭にした【しおじ】が止まっているのを見たのも覚えてますが、まだ写真に収めるという考えを持つ年齢ではなかったのでしょうね。後悔先に経たず。です。
 昔の幹線には、列車名の異なる優等列車がいっぱい走っていましたが、今はそれほど多くの名称の列車が走る線路がないように思います。北陸本線、鹿児島本線、函館本線、千歳線くらいでしょうか。

投稿: gamera63 | 2007年2月28日 (水) 午前 08時48分

向日町に宮原ですか。
聞いただけでワクワクしてきます。

キハ82とか赤スカートの485系とかも、ごろごろしていたわけですよね。
というか、大阪ではあたりまえでしょうか。

>多くの名称の列車が走る線路がないように思います。
新幹線が出来ると多くの列車が集約されちゃうので、面白味は今ひとつですね。

せめて、模型の世界ではいつまでも走らせてあげたいものです。

投稿: e231green | 2007年3月 1日 (木) 午前 10時31分

>向日町に宮原ですか。
聞いただけでワクワクしてきます。

動力分散型の優等列車車両は、ほぼすべて見ることができました。

>キハ82とか赤スカートの485系とかも、ごろごろしていたわけですよね。というか、大阪ではあたりまえでしょうか。

赤スカート車は、'75の新幹線博多開業時に、すべて鹿児島へ転属となりました。日本海縦貫線の一旦を担う北陸本線の列車を担当する向日町に、50Hz交流区間へ入れない481系を置いておくより、それはすべて鹿児島へ転属させて、向日町は485系で固めようということだったのでしょうね。この時期はまだ、【白鳥】の担当は青森だったと思いますが、晩年は上沼垂の担当を経て、向日町(現京都総合運転所?)が担当していたようですね。元祖赤スカートのクハ481の1と2は、常磐線へ再転属となったと聞きました。どこかで静態保存とかされているのでしょうか。

投稿: gamera63 | 2007年3月 4日 (日) 午前 10時01分

gamera63さん、お返事が遅くなりましてすみません。

そうですか、赤スカートは、50.3で九州転属でしたか。

そうすると、はくたかの赤スカートもそのときまでだったんだ。

関東ではめずらしい赤スカート。大好きでした。

そして、昭和60年ころ、確かに大挙して九州からやってきました。

上野で始めてみたときは、狂喜乱舞。

でも、何か変。

ヒゲがなかったんですね。ちょっと興ざめでした。

投稿: e231green | 2007年3月 6日 (火) 午後 11時23分

ヒゲは、九州へ渡った後、しばらくしてから消されたようですね。'77頃の写真には、ひげのない赤スカートのクハ481が映っています。
 でも、'64に始めて481系が登場した時には、クハ481にはヒゲはなかったそうですよ。スカートも赤一色で、クリームのラインはなかったみたいです。
 しかし そうは言ってもやはりあのヒゲがあるとないとでは全然印象違いますね。 上越線のクハ181も、最後まで帯なしの車が何両かありましたね。もともと上越線にいたグループはスカートが短かったですが、山陽本線からの転属組の中には、スカートを短くされず、帯も入れられないまま生涯を終えた車がありましたね。

投稿: gamera63 | 2007年3月 9日 (金) 午後 06時53分

そうでしたか。
ヒゲは、151系と481系を区別するためだったでしょうか。
それで、ヤマ用の161は、一直線のラインになったのか・・・・。

とき・あさまに運用されたラインなしのクハ181は、中学生のころに見ました。かっこよかったですよ。

ただ、運転席上のライトは撤去されておりました。
あずさの運用があったためですが、そのおかげで、東海道・山陽とはまた別の顔が作り上げられました。

見慣れた者にとっては、あの顔もまた精悍な特急顔です。

投稿: e231green | 2007年3月10日 (土) 午前 10時55分

【とき】と【あずさ】が共通運用されてたなんて、上野と新宿の間で、どうやって車両を移したんでしょうね?山手貨物線経由?
 181系以降も、中央東線の運用を考慮に入れていた車両は、幕張の183系も長野の189系も、運転室上にヘッドライトが付くことはなかったですね。

投稿: gamera63 | 2007年3月10日 (土) 午後 08時30分

「とき」と「あずさ」が共通運用されていたころは、まだ東京-上野間の連絡線が健在で、一旦田町に入って、それから品川周りで新宿に回送されたようです。
というか、そのころは181(161)系も田町の所属だったかもしれません。

とき用の181系が新潟の所属となり、東京-上野の連絡線が閉鎖された後は長野運転所の編成になったように記憶してますが、うろ覚えです。この場合は、長野から松本へ送りこんでいたみたいですね。

投稿: e231green | 2007年3月11日 (日) 午後 06時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/95024/13812451

この記事へのトラックバック一覧です: 尾久客車区東大宮派出:

« WALKING TOUR | トップページ | 中央特急に乗る »