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京浜東北線今昔

京浜東北線は、幼少のころからお世話になり続けている電車です。
今はハイテクの209系電車ですが、物心ついたころは72系。
板張りの壁と床。たてつけの悪い3段窓。
でも、あのなつかしいモーター音。
ローテクなれど、人間味のある電車でした。
そして、今度はE233系が投入されることにきまりました。

Dsc06860クモハ73は、全金更新車。後の101系に通ずる車体になっています。
72系時代の京浜東北線は、8両編成。検修設備の関係で3両+5両だったようです。
実車はこんなに綺麗ではありません。
黄土色っぽい汚れがシルやヘッダーの境目にたまっていました。
旧客もそういう汚れ方をしていましたが、新性能車には見られないものでした。
制輪子の粉塵が付着したのではないかと思っています。

Dsc06861昭和41年ころ、それまでの茶色い電車にかわって鮮やかな青に彩られた電車が投入されました。
新性能電車103系。
当初は72系と同じ8両編成でしたが、のちに10両編成となります。
やはり検修設備の関係で3両+7両。
Mc-M'-Tc-Mc-M'-T-T-M-M'-Tc
この編成には、高校に入ったころから毎日お世話になりました。
乗車するのは3両目のクハ。運転室のメーター類を見るのが楽しみでした。

Dsc06862昭和40年代後半、101系が助っ人にやってきました。
天地に長い方向幕と運転席窓は、103系オンリーの中で新鮮でした。

Dsc06863ATC化することになった京浜東北線に、昭和50年ころ、ATC準備車が投入されはじめました。
といっても、貫通10連での投入ではなく、6連か7連の新製車を投入して、7連と置き換えるという方法。
地方の新性能化名目で新車を製造して、新車自体は京浜東北線に入り、そこで捻出された編成が地方へ転出していきました。
Mc-M'-Tc-Tc-M-M'-T-M-M'-Tc
大船方の先頭車は高運、大宮方は低運と前後で違う顔の編成でした。
また、新製車は冷房車、大宮方の3両とサハは非冷房で、今から思えば変則的な編成でした。

昭和56年からは編成の組み換えが行われ、前後とも高運顔になりました。
Tc-M-M'-Tc-Mc-M'-T-M-M'-Tc
編成の両端が冷房車、中間が非冷房という変な編成でした。

この変則的な冷房状況を改善するため、国鉄末期からインバータクーラーによる簡易改造が盛んに行われました。ちなみに京浜東北線の冷房化100%は、JRとなってから2年後の1989年でした。


Dsc068641987年4月1日、国鉄からJR各社に組織変更となりました。
それまでの国鉄車両には、一夜にしてJRマークが貼り付けられました。
103系は、JRとなってからも、1998年の3月まで走り続けました。

Dsc06865平成に入ると、901系試作車を経て、209系が投入されました。量産車の投入は1993年からです。あれよあれよという間に103系を置き換えていきました。
ついこの前投入された車両ですが、側板にはゆがみが目立つようになりました。やはり寿命半分なのでしょうか。

Dsc06867山手線に続いて、1995年5月から、京浜東北線にも6扉車が投入されることになりました。先頭車には6DOORのステッカーが貼り付けられるようになりました。

Dsc06866ある日電車を待っていると、209系にしては丸みを帯びた編成がやってきました。209系500番台。通常の編成が改造で入場している間、編成が足りなくなるので応援に来たんだとか。

Dsc06869

Dsc06870
歴代の京浜東北線電車。模型ならではの光景です。まもなく、これに205系が加わります。

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001 鉄道模景」カテゴリの記事

コメント

昭和40年代後半、ボウリングブーム真っ只中の時、始めて上京した時、新橋から(だったと思います)東京へ行くのに、ホームで電車を待ってたら、入ってきたのがブルーの101系でした。山手線と京浜東北線は103系オンリーだと思っていたので、何か得した気分になりました。私達恐い物知らずの小学生と幼稚園児の兄弟3人は、♪な・か・や・ま・りつこさん♪と車内で、でかい声でくちずさんだかと思うと、見るものすべてに興味を示して関西弁で 「あれなんや~!?」という状態でした。相当目立ってたと思います。(^^;;;
 関西では、この頃大阪環状線がほぼ101系、京阪神緩行線が旧国73系から103系への置き換えの途中、阪和線には少しだけ103系がありましたが、主力はスカ色70系と寄せ集めのオレンジパーミリオン塗装の旧国。スカ色70系4連+オレンジパーミリオンのクモハ41+クハ55が、7両中2両のキロと1両のキシを連結したキハ82系【くろしお】とすれ違って走ってたんです。関西本線は、1973?(だったと思います)の電化までは、ディーゼルカーで、キハ35/36が2両ユニットで2~6両の編成で走っておりました。回想してみると、すごいバラエティーだったわけですね。

投稿: gamera63 | 2007年3月13日 (火) 午後 03時10分

小学生で101系と103系の違いが判ったなんてすごい!!

1970年代は、高度成長期とはいえ、まだまだ戦後がそこここに残っていましたね。
車種のバラエティーも、成長が完了していないが故だと思われます。
そして、このバラエティーが私は楽しい。

1975年にSLが全廃されると、それまで無煙化に向けられていた予算が旧型車両全般に向けられるようになったのか、だいたいその後の5年くらいで旧型車両がどんどん淘汰されてしまいましたね。

投稿: e231green | 2007年3月14日 (水) 午後 11時05分

>小学生で101系と103系の違いが判ったなんてすごい!!
外見、特に先頭車の顔つきは、かなり違って見えたように見えました。101系は、ここにも書かれていますが、窓が天地方向に大きいですしね。103系はドアの開閉前には必ず大きな音で空気が「プシュ」と出ますし、高加速を謳っていた割にはなかなかトップスピードまでいくのに時間がかかってました。101系の方が圧倒的にスムーズに伸びてたように思います。コンプレッサも、101系はC1000?でしたか、ベルトも丸見えの網で覆われただけのような物でしたね。モハ100やクモハ100に付いてました。

投稿: gamera63 | 2007年3月15日 (木) 午後 11時30分

gameraさん、子供のころからするどかったんですねえ。

私は色が違うとか、前面に扉があるかないかとか、そのくらいの目しかもってませんでした。

というか、今でもそうかも知れません(大汗)

投稿: e231green | 2007年3月16日 (金) 午後 09時43分

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