115系 Y390編成
クハ115-341(方転改造車)
モハ114-390
モハ115-364
クハ115-1506
300番台の増備は、当初は上野口の増発のためでしたが、やがて地方(新潟・岡山・広島地区)の電車を新性能化する名目で行なわれるようになりました。といっても、新製車両が配置されるのは新前橋と小山で、そのかわりに0番台非冷房車が地方に転属して新性能化がなされるというからくりでした。
直接上野口に投入されるのであれば、7両編成か4両編成で落成しますが、地方では6連の需要が多いようで、新製車は、Tc-M-M’-M-M’-T’cという編成でした。
6連新製車が到着すると、非冷房の7両編成であるTc-M-M’-Tc-M-M’-TcからTcを1両抜いて6両編成として地方に転属させ、新製冷房車の中間に非冷房Tcをはさんで7連としました。
また、小山電車区では、2本のTc-M-M’-TcからTcを2両抜いて、Tc-M-M’-M-M’-Tcの編成とし、新製車はTc-M-M’とM-M’-T’cに分割し、既存の4両編成から抜かれたTcを連結して4連2本と置き換えました。
このため、中間に0番台の挟まった7連、片方のクハだけ0番台の4連が数多く発生しました。
なお、新前橋電車区では、6両編成の新製車編成からM-M’を抜いて4両編成とし、抜かれたM-M’ユニットの両端に0番台クハを連結するという組成の仕方でした。
Y390編成は、1976年5月13日に東急車輛で落成したもので、
クハ115-389
モハ115-363
モハ114-389
モハ115-364
モハ114-390
クハ115-442
の6連で小山に到着し、
(鉄ピクの車暦表ではこのクハ115-442のみ5.3落成となっていますが鉄道ファン’76年10月号の車両の動きでは5.13落成と記載されています。)
クハ115-389
モハ115-363
モハ114-389
クハ115-46
と
クハ115-15
モハ115-364
モハ114-390
クハ115-442
の4連2本に組成されました。
一方、1976年5月20日付けで、
モハ114,115-8,23,25,36
クハ115-16,45,50,71
が小山から岡山に転属していますので、
クハ115-45
モハ115-23
モハ114-23
モハ115-8
モハ114-8
クハ115-16
の6連が新製車の代わりに岡山で活躍したものと思われます。
その後のY390編成ですが、
1981年ころは、宇都宮方にクハ115-431、モハ115-405、モハ114-431を連結して7両編成として運用されていました。
一方、クハ115-341は、製造時の編成から外れて、1000番台7連の中間に挟まれていました。この段階では奇数向先頭車です。
その後の詳細は良く判りませんが、1984年ころの短編成化による先頭車不足のころ、サハ代用から脱却し、方転改造して、クハ115-442の代わりに上野方に連結されたようです。
1991年に宇都宮方のクハ115-15が廃車となり、代わりにサハ115-1017を先頭車改造したクハ115-1506が連結され、モデルの編成となりました。
模型は、クハ115-341,モハ114-390,モハ115-364がグリーマックスのキット、クハ115-1506はKATOのクモハ115のルーバー印刷を消し、M車用の床下機器をTc用に交換しています。
グリーンマックスのキットは、私に技術力が無いうえに、キット自体も現在の水準からすれば今一つですので、遠くから見るのがやっとの出来です。もっぱら編成の中間に封じ込めて使用しています。
参考文献 鉄道ピクトリアル2009年7月号 鉄道ファン1976年10,11月号
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