EF15と貨物列車
もうすぐKATOからEF15がリニューアルされて発売になりますね。
EF15といえば貨物列車。特に高崎線ではそうでした。KATOのリニューアル版は高崎第二機関区のものをプロトタイプとするとのことでうれしい限りです。
写真は、これまでに発売になったマイクロ製、TOMIX製、KATO製。リニューアル製品がどこまで作りこまれているか楽しみなところです。
さて、国鉄時代の一般的な貨物列車は、個々の駅から貨車操車場に送られ、遠距離の貨車はまとめて直行列車に仕立てられ、近距離の貨車は開放する駅の順番に連結したローカル貨物列車に仕立てられて運転されていました。
模型で再現するとこんな感じになります。
現在では、拠点間を直行するコンテナ列車などばかりであり、これらの直行列車に対して、ヤードで集約作業の行なわれる貨車をその色から黒貨車などと呼んでいるようです。黒貨車は、マイクロエースと河合商会が精力的に製品化したおかげで大変充実しています。今日はそんな黒貨車のご紹介です。
河合商会のワラ1。ワラ1は1963年から製造された17t積みの有蓋車で、昭和40~50年代では最低でも2~3両は連結されていました。
KATOのワム90000。ワム90000は1953年から製造された15t積みの有蓋車で、これまた2~3両連結されていました。なお、ワム90000の中には1938年から製造されたワム23000を二段リンク化して編入されたものもあります。編入組は、元の番号に100000をプラスした番号になっているのですぐに判ります。
河合商会のワム70000。ワム70000は1958年から製造された15t積有蓋車。編成中には1,2両あるかどうかというところでしょう。模型は比較的後年の製品化のため、非常に洗練されています。
TOMIXのトラ70000。1967年から製造された17t積無蓋車です。無蓋車自体の数が少ないため、編成中の無蓋車の両数は3~4両といったところだと思います。したがって、トラ70000は1両あるかないかでしょう。
トラ70000が発売されたころはNゲージの無蓋車の種類が貧弱でしたので、トラ70000の発売は大歓迎でした。ちなみに、現在では河合商会から多様なトラが製品化されています。
河合商会のレム5000。1964年から製造された冷蔵車で青い帯は気密性の良い冷蔵車であることを示します。車内の冷却はドライアイスを使っていました。
冷蔵車を連結している貨物列車は高崎線では10本に1本くらいだったように記憶しており、組み込まれても数両でした。
KATOのワム80000。車体構造は近代的ですが、1960年から製造されていた15t積み有蓋車で、現在でも青く塗られて使用されている形式。側面全体がドアになっていて、フォークリフトで荷役ができることが特徴です。編成中に4~8両くらい連結されていてもおかしくないくらいポピュラーな貨車でした。
KATOのワム80000は、1972年ころ、レ12000、ヨ6000とともに発売されました。それまでは黒貨車といえばトキ15000しかなかったので、大いに歓迎されました。
マイクロエースのタム5000。塩酸、アミノ酸、味液用の私有貨車で、製品は味の素の所有でアミノ酸専用となっています。最近のタンク車は40t以上積載できるガソリン専用車が一般的ですが、当時は貨物列車の中に1両だけ2軸のタンク車が連結されているなんてこともよくありました。
マイクロエースのテム300。生石灰などを運ぶための全鋼製有蓋車で、1957年から製造されました。丸い屋根が特徴的ですが、実車はいつも石灰で真っ白に汚れていました。模型でもウエザリングをしたい1両です。
高崎線ではチチブセメントがあるせいか、よく見かけました。車体の「高」の文字は高崎鉄道管理局内のどこかの駅の専属貨車であることを示すものですが、実車の文字はここまで大きくありません。
マイクロエースのテラ1。やはり全鋼製有蓋車で1963年から製造されました。
ところで、マイクロの貨車は10年位前に怒涛のように発売されましたが、それ以降さっぱりですね。そろそろ再生産と新製品の発売を期待したいところ。新製品としては是非ワ12000をお願いします。
河合商会のツム1000。生野菜などを運搬する通風車で、車体全体に通風口が施され、屋根にはベンチレータが設置されています。高原野菜の産地などでは、全車通風車みたいな列車もあったようですが、高崎線ではたまに見かける程度の貨車でした。
KATOのワキ5000。1965年から製造された30t積有蓋車。模型は先行して発売されていたワキ10000の色を換え、台車をTR63に履き替えさせた流用品。屋根が丸くリブが無いのは初期車の特徴です。河合商会からは後期型のワキ5000が製品化されています。
河合商会のワムフ100。1951年から製造され急行便列車の緩急車として使用されましたが、晩年は一般の貨車に混じって使用されました。高崎線では運用が決まっていたのか、いつも同じ貨物列車に連結されていました。
TOMIXのトキ25000。LPガス用で、グレイのタンク車は高圧ガス取締法の適用を受けるタンク車だそうです。製造から一定の年数が経つと検査が厳しくなって費用がかかるため、一斉に廃車になります。昔はタサ5700というやはりグレイのタンク車を良く見ましたが、いつの間にかタキ25000ばかりになりました。そういえば最近はトキ25000も見かけません。危険物のためなのかどうか判りませんが、編成中では車掌車に近い編成後部に連結されていたように思います。
KATOのレ12000。1950年から製造された冷蔵車。気密性が良くないらしく、青帯はまいていません。屋根上のハッチは氷タンク。ここに氷を入れて貨車の内部を冷やしたそうです。昭和50年代にはほとんど見かけなくなりました。
TOMIXのタキ5450。1964年から製造された液化塩素専用のタンク車。高圧ガス保安法の適用を受けるため、タンクが黄色く塗られているそうです。昔からある貨車ですが製造期間が長く、平成に入っても製造されました。時代により細部に違いがあります。模型はTR211系の台車に交換された比較的最近の姿。昭和40~50年代の姿に戻すには台車をTR41に変更することになります。
KATOのトキ25000。1966年から製造された36t積無蓋車。私が見たトキといえばこれでした。
河合商会のワキ1000。やはり急行便として使用されたものが晩年一般貨物列車に組込まれるようになったものです。昭和50年代前半までは使用されていたと思いますが、頻繁に見かける貨車ではありませんでした。
KATOのタキ3000。昔はタキといえば3000でした。普通の貨物列車にも少数単位で連結されていましたし、タキ9900や50000、35000などといっしょに連結されて専用列車としても使用されていたと思います。
KATOのコキ5500。コキ10000の塗り替え製品ですが、コンテナを取っ払ってプラ板で台枠を真似てみたり、チキ5000の手すりを取り付けたりしています。コキは専用列車ばかりでなく、1両単位で普通の貨物列車にも組み込まれておりました。
KATOのワフ29500。1980年ころまで、貨物列車の最後尾には車掌車または有蓋緩急車が連結されていました。ボギー貨車のジョイント音がタタン、タタンだとすると、2軸の貨車のそれは、タッ、タッとなりますが、貨物列車では必ず最後にタッタッという音でしめるというのがお約束でした。
車掌車を見ていた世代からみますと、現在の貨物列車は尻切れトンボのように見えてしかたありません。
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