1972年の東北線 4
下りなすの1号は、いわゆる遜色急行。9時ころに急行を設定したいものの、通勤ラッシュが終わったばかりで、上野にいるのは近郊形電車ばかり。しかたなく115系を使った急行を走らせたもの。高崎線にはあかぎが同じく115系で、常磐線にはときわが403系で走っていました。
404レの津軽2号はひばり1号の直前を走行。上野を目前にして大宮でひばりに抜かれます。ちなみにこのひばり1号は東京行。1972年には上野東京間の線路がつながっていました。
1103Dいいで・ざおう1号はキハ58系のディーゼル急行ですが、修学旅行用の800番台を組み込んでいました。
1712Mつくばねは常磐線の勝田から水戸線を経由して上野に向かう列車。勝田の453系の運用だと思っていましたが、実は仙台の付属編成の運用。上野に着くと折り返し6両編成の「まつしま」となって下っていきます。
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コメント
非常におかしなことになっています。115系は7、8、11、15両と各種あり、4連と7連の位置もいろいろ引っくり返る便もあり一律11連ではありません。今一度再編集
を依頼したい。
投稿: MT | 2010年5月30日 (日) 午後 07時35分
ご指摘ありがとうございます。
確かに編成は一律ではありませんで、申し訳程度に7+4の位置を入れ替えてあるのですが、現在の資料ではどの列車がどういう組成であったかは明らかにならず、再現といってもこれが限度です。
ご存知のとおり、東北・高崎線は新前橋、小山の両電車区の車輌が共通運用されていた特異な路線で、現在でも、小山のE231系が高崎線に入り、しかも横コツの付属編成と併結するなど、極めて複雑な運用がなされています。
黒磯・日光行は、前黒磯行、後日光行で確定すると思いますが、さらに小金井どまりを併結しているかどうかはわかりません。さらに、7連登場後も4+4+4の12連が残存していた時期もありますし、組成の解明はさらに複雑です。
また、9~11時台は休日ダイヤとして再現しており、1972年当時、休日に15連があったのか疑問がありました。
さらに、普通列車の設定が1時間に2本程度の当時は、小金井以南で7連というのは、あまり見かけませんでした。
いずれにしましても、せっかくのご指摘を頂戴しましたので、次回編集の際は、それらしく理屈がつくように、でっち上げたいと思います。良くご覧いただきありがとうございました。
投稿: e231green | 2010年5月31日 (月) 午前 02時02分