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少種多数の東武特急に対し、多種少数なのが小田急特急。模型的には小田急の方が面白い。
小田急ロマンスカーは、幼少のころSE車に乗ったことがある。 物心ついて、最初に記憶に残ったのがSE車。 鉄ちゃんだったから記憶にのこったのではなく、巻き取り式のブラインドをあけ下げして遊んでいたら、斜めの状態で動かなくなってしまい、大いにあわてたから。父親からは、車掌さんに怒られると言われ、反省よりも先に恐怖心いっぱいになったのでした。
あれから半世紀。近未来を思わせるVSEまでいろんなロマンスカーが走りました。
これで、まだMSE車もあるというのだから、多種少数であることに間違いない。
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投稿者 E231GREEN 日時 2011年11月 2日 (水) 午後 11時38分 051 運転を楽しむ | 固定リンク Tweet
はじめまして、 現在のOERはMSE登場以来1970年代迄あたりの東北高崎線に近い状況と言えるでしょう。ま、ピンと来ませんでしょうからお話しますと、花形列車だけが威容ににぎやかで、乗車券のみで乗れる普通系列車のバリエーションが乏しいという点です。特に昭和47年頃の高崎線に例えますと、普通列車約46往復中、客車1~2往復以外は電車とはいえ165系・115系のみ。しかも当時は上尾事件前ということもあり、高シマの165系を中心に一部新ニイ・長ナノの急行用車による普通充当便が約10往復と多め。残りの34往復のみが115系ですので高崎ローカルの主は115系であるという解釈は間違いではありませんが実態運行上はだいたい165・115半々の配分割合であるといえるでしょう。特に年末や夏季は季節臨時便さえも波動用高シマ165系中心(もちろん例外もありました。上野から新潟行き急行弥彦・佐渡や長野行き急行信州50番台への115系充当等)に大幅増発されるので日によっては配分が逆転することもあったはずです。車種が乏しい反面所属区相違や分併運用に伴う編成のバリエーションはかえって他線区に勝るとも劣らないバージョンになっていました。一方の現在のOER一般車はお面こそ多少のバリエーションがあるものの、かつての鋼製車ほどの特徴有る形態の車種や編成が豊富にあった時代とことなり、側面レイアウトや編成が画一的です。どの車両に乗っても「あっ0000形だっ」といった形態&サウンドを楽しむ魅力が褪せています。こういった料金券の必要な列車ばかりが楽しくみえ、ローカル系のバリエーションに関心が薄くなりがちな点が非常に酷似していると感じているのです。ところでS47当時の国鉄の中電区間は大手私鉄の本線に相当する郊外路線でしたが、短い自前路線中の沿線利用者を極端に気にしなければならない私鉄がフリークェント確保のため短編成による本数の多いパターン運行を意識しざるを得ないのに対し、長距離又は衛生都市間連絡を重んじる国鉄は実に威風堂々をとおり越えて威厳感に近い横柄さもありつつ極端に本数が少ないのが実態でした。S47-3改正やS59-2改正の高崎鉄道管理局発行の高崎線電車運用で確認すると、例えば先発の下り普通電車が大宮を出ると、その便が倉賀野の先まで達しないと次の普通電車が大宮を出ないといった時間帯さえあります。これはOERで示せば新宿で乗りそこなった小田原行き各停の後、つぎの列車へ乗り込もうと駅員に次発を確認すると、「今出た電車が足柄を発車する頃に今度の電車がここを出ます。どうしてもここから先へ急ぎ乗りたいなら間に入るロマンスカー特急が2便あるからそれでも利用してみて下さい」などとやっているようなもので、とても地元小田急沿線者としては考えにくい事象です。とはいえ一番近い中距離電車区間の路線は東海道でこちらも時の東北高崎線と大同小異なものでした。すなわちデイタイムの藤沢駅でも20~40分待たせることはまんざらでなかったことです。特に東海道は貨物の本数も多いことから当時は平塚以西による客貨共用の本線使用からくる慢性的な列車遅延が日常茶飯事でしたので時刻表上からはあまり30分以上の間隔をあける時間帯はないのですが実態は異なっておりました。しかし普通列車に関しては、東北高崎線のように3ドア近郊型電車と2ドアデッキ付急行型がほぼ半々の割合(前項もそうですが153系等の本数は急行便としての運行本数もカウントの上です。)で見られた点は同じです。夕やけロンちゃん様がなくなってしまい、残念ですが当時の朝の国鉄の東京近郊区間における運行状況解説が国電区間と、いわゆる中電たる列車区間に分けて個別案内されていたことの重要性を今の方がどれだけ認識できるかはなはだ疑問ですが一本の路線運行状況を個別対応する様だけは現在も大手私鉄等では取られない点だけは変わっていないようです。列車区間の電車化が図られてからだいぶ経ち、列車区間とは何かという問いにストレートで答えてくれる鉄道案内施設も見なくなって久しいですが私の居住地から近い所ですと4~5年前まで八王子駅の中央線次発電光案内板が説明してくれてました。雄一国鉄時代を誇称していた貴重なアイテムでしたが[今度の電車は0000発]でくる電車が里線201系「今度の列車は0000発」でくる電車が山スカ115系と電車(国電)区間の列車と列車区間の列車がなにを指しているのか非常にわかりやすく説明されておりました。捨てがたい国鉄の長い伝統的慣習が淘汰され、ただただ残念です。 とこう書きますと、かつての中電115・111系が劣悪であまり良い印象として照会していないように思われますが私個人としましては、一般車を片っ端からコーポレートカラーへ塗りつぶしながら短く中途半端な速度で走ってくる小田急東急京急東武といった大手私鉄よりも長大編成で大型全照灯に前面や後部へ夕日を浴びながら幌を装着して突っ走ってくる115・111系は速度こそ特急急行のそれとは違うものの、これほどかっこいい列車(電車)は存在しませんでした。むしろ同じ湘南色でも急行形よりも前面上の一直線上からの緑オレンジ塗別がいっそう精悍なマスクに見え、ほれぼれしていました。しかしこのオレンジ色のにくいヤツ。見たくて見たくて沿線踏切付近に陣取っていざ見学しようと思うと本数が中々少なく思うように顔が拝めませんでした。親戚の方と犬の散歩名義ででかけた際にも同じ位置で50分も待たせてしまい、まずい思いをしたこともありました。基本的にこの車種は直流大幹線の本線ローカルの大代表にもかかわらずデイタイムでは例えば京浜区間でも山手京浜東北横須賀の各線電車よりもずっと出会えるチャンスが少なく大動脈幹線の代表にもかかわらず最も出会いか難しいなんて・・・と当時は結構好きな車種でもあることから憤慨していました。当時の東海道・高崎・東北各線の電車運用表からみても列車区間はあくまで伝統的な客車スタイルのサービスが基調であって3口の電車はあくまでドーナッツ化現象における通勤時集中輸送対策のための用途としての位置付けでしかなかったことがよく伺えます。鉄道模型FAN様の115系非冷房車のNゲージをみてますとかなり先頭車の車高校正、前照灯の加工等苦労なさっていらしゃる様子がわかります。私もこの種のマイクロ製品を中央東線版をふくめていろいろ所有していますので。 それにしても、ものすごい小田急特急のバリエーション展開に頭が上がりません。地元沿線住民としてはEXEは敬遠気味で私などコレクションの対象外としていましたがマイクロさんが製品出荷日を公開し県下の量販店で発売と同時に完売していた実績から察すると、比較的ロマンスカーの中では敬遠しがちな車種をマイクロさんのバリエーションのラインナップの多さに目をうばわれた消費者への巧みな攻勢を意識してまうばかりです。
投稿: MT | 2011年11月19日 (土) 午前 01時05分
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はじめまして、
現在のOERはMSE登場以来1970年代迄あたりの東北高崎線に近い状況と言えるでしょう。ま、ピンと来ませんでしょうからお話しますと、花形列車だけが威容ににぎやかで、乗車券のみで乗れる普通系列車のバリエーションが乏しいという点です。特に昭和47年頃の高崎線に例えますと、普通列車約46往復中、客車1~2往復以外は電車とはいえ165系・115系のみ。しかも当時は上尾事件前ということもあり、高シマの165系を中心に一部新ニイ・長ナノの急行用車による普通充当便が約10往復と多め。残りの34往復のみが115系ですので高崎ローカルの主は115系であるという解釈は間違いではありませんが実態運行上はだいたい165・115半々の配分割合であるといえるでしょう。特に年末や夏季は季節臨時便さえも波動用高シマ165系中心(もちろん例外もありました。上野から新潟行き急行弥彦・佐渡や長野行き急行信州50番台への115系充当等)に大幅増発されるので日によっては配分が逆転することもあったはずです。車種が乏しい反面所属区相違や分併運用に伴う編成のバリエーションはかえって他線区に勝るとも劣らないバージョンになっていました。一方の現在のOER一般車はお面こそ多少のバリエーションがあるものの、かつての鋼製車ほどの特徴有る形態の車種や編成が豊富にあった時代とことなり、側面レイアウトや編成が画一的です。どの車両に乗っても「あっ0000形だっ」といった形態&サウンドを楽しむ魅力が褪せています。こういった料金券の必要な列車ばかりが楽しくみえ、ローカル系のバリエーションに関心が薄くなりがちな点が非常に酷似していると感じているのです。ところでS47当時の国鉄の中電区間は大手私鉄の本線に相当する郊外路線でしたが、短い自前路線中の沿線利用者を極端に気にしなければならない私鉄がフリークェント確保のため短編成による本数の多いパターン運行を意識しざるを得ないのに対し、長距離又は衛生都市間連絡を重んじる国鉄は実に威風堂々をとおり越えて威厳感に近い横柄さもありつつ極端に本数が少ないのが実態でした。S47-3改正やS59-2改正の高崎鉄道管理局発行の高崎線電車運用で確認すると、例えば先発の下り普通電車が大宮を出ると、その便が倉賀野の先まで達しないと次の普通電車が大宮を出ないといった時間帯さえあります。これはOERで示せば新宿で乗りそこなった小田原行き各停の後、つぎの列車へ乗り込もうと駅員に次発を確認すると、「今出た電車が足柄を発車する頃に今度の電車がここを出ます。どうしてもここから先へ急ぎ乗りたいなら間に入るロマンスカー特急が2便あるからそれでも利用してみて下さい」などとやっているようなもので、とても地元小田急沿線者としては考えにくい事象です。とはいえ一番近い中距離電車区間の路線は東海道でこちらも時の東北高崎線と大同小異なものでした。すなわちデイタイムの藤沢駅でも20~40分待たせることはまんざらでなかったことです。特に東海道は貨物の本数も多いことから当時は平塚以西による客貨共用の本線使用からくる慢性的な列車遅延が日常茶飯事でしたので時刻表上からはあまり30分以上の間隔をあける時間帯はないのですが実態は異なっておりました。しかし普通列車に関しては、東北高崎線のように3ドア近郊型電車と2ドアデッキ付急行型がほぼ半々の割合(前項もそうですが153系等の本数は急行便としての運行本数もカウントの上です。)で見られた点は同じです。夕やけロンちゃん様がなくなってしまい、残念ですが当時の朝の国鉄の東京近郊区間における運行状況解説が国電区間と、いわゆる中電たる列車区間に分けて個別案内されていたことの重要性を今の方がどれだけ認識できるかはなはだ疑問ですが一本の路線運行状況を個別対応する様だけは現在も大手私鉄等では取られない点だけは変わっていないようです。列車区間の電車化が図られてからだいぶ経ち、列車区間とは何かという問いにストレートで答えてくれる鉄道案内施設も見なくなって久しいですが私の居住地から近い所ですと4~5年前まで八王子駅の中央線次発電光案内板が説明してくれてました。雄一国鉄時代を誇称していた貴重なアイテムでしたが[今度の電車は0000発]でくる電車が里線201系「今度の列車は0000発」でくる電車が山スカ115系と電車(国電)区間の列車と列車区間の列車がなにを指しているのか非常にわかりやすく説明されておりました。捨てがたい国鉄の長い伝統的慣習が淘汰され、ただただ残念です。
とこう書きますと、かつての中電115・111系が劣悪であまり良い印象として照会していないように思われますが私個人としましては、一般車を片っ端からコーポレートカラーへ塗りつぶしながら短く中途半端な速度で走ってくる小田急東急京急東武といった大手私鉄よりも長大編成で大型全照灯に前面や後部へ夕日を浴びながら幌を装着して突っ走ってくる115・111系は速度こそ特急急行のそれとは違うものの、これほどかっこいい列車(電車)は存在しませんでした。むしろ同じ湘南色でも急行形よりも前面上の一直線上からの緑オレンジ塗別がいっそう精悍なマスクに見え、ほれぼれしていました。しかしこのオレンジ色のにくいヤツ。見たくて見たくて沿線踏切付近に陣取っていざ見学しようと思うと本数が中々少なく思うように顔が拝めませんでした。親戚の方と犬の散歩名義ででかけた際にも同じ位置で50分も待たせてしまい、まずい思いをしたこともありました。基本的にこの車種は直流大幹線の本線ローカルの大代表にもかかわらずデイタイムでは例えば京浜区間でも山手京浜東北横須賀の各線電車よりもずっと出会えるチャンスが少なく大動脈幹線の代表にもかかわらず最も出会いか難しいなんて・・・と当時は結構好きな車種でもあることから憤慨していました。当時の東海道・高崎・東北各線の電車運用表からみても列車区間はあくまで伝統的な客車スタイルのサービスが基調であって3口の電車はあくまでドーナッツ化現象における通勤時集中輸送対策のための用途としての位置付けでしかなかったことがよく伺えます。鉄道模型FAN様の115系非冷房車のNゲージをみてますとかなり先頭車の車高校正、前照灯の加工等苦労なさっていらしゃる様子がわかります。私もこの種のマイクロ製品を中央東線版をふくめていろいろ所有していますので。
それにしても、ものすごい小田急特急のバリエーション展開に頭が上がりません。地元沿線住民としてはEXEは敬遠気味で私などコレクションの対象外としていましたがマイクロさんが製品出荷日を公開し県下の量販店で発売と同時に完売していた実績から察すると、比較的ロマンスカーの中では敬遠しがちな車種をマイクロさんのバリエーションのラインナップの多さに目をうばわれた消費者への巧みな攻勢を意識してまうばかりです。
投稿: MT | 2011年11月19日 (土) 午前 01時05分