客車の時代

車体色と表記の仕方の関係とか、どの車両が近代化改造を受けた(=青15号塗装)かとか、オハ31系の系譜とか高崎の現存編成の状況のレポートなど盛りだくさん。
迷わず購入してきました。
車体色と表記の仕方の関係というのは、

形式番号だけでなく所属まで車体中央に標記するのはいつころのものか、そのころのブドウ色は1号か2号かとか、等級帯が青からグリーンに変わるのはいつからか

赤帯はいつまであったか、そのころの形式番号の表記の仕方はどうなっていたか、
などが時系列を追って記載してあります。
いまひとつの発見が、スハ44にも近代化改造の際、アルミサッシ化されなかった車両のあったこと。

KATO初代のスハ44ブルー。いつか窓枠を塗ってやろうと思ってましたが、34号はアルミサッシ化されなかった例として写真が載っていました。塗らなくて良かった。
それから旧客のドアは手動であるという、私からみれば当たり前のことが詳説されてまして、1両単位で運用する客車はドアを動かす動力源を装備できなかったのだそうです。
今から見れば、乗客が列車から振り落とされて危険極まりないと思われるでしょうし、実際そういう事故は珍しくありませんでしたが、社会がまだ十分裕福とはいえない中で輸送力を確保するために、各人が自己責任を自覚して利用していたものです。
今でも、ホームドアがないのは普通のことですが、これって本当は手動のドアと同じように危険ですよ。高速で通過する列車と隔てるものがないわけですから。あと何十年かすると昔はどうしてホームドアがなかったかということが鉄道雑誌で詳説されることになるのでしょう。
というわけで、客車の時代のさわりだけお知らせしました。
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