高崎線の211系
先日、朝9時過ぎに最寄りの駅から電車に乗ることになりました。そのころやってくる211系の列車に乗ろうと思っていたのですが、駅の列車案内表示には4ドアの記載。
211系完全引退?そんな情報は聞いていないので、ネットで調べると前にも検査の都合でE233系が代走したことがあるそうです。昨日、無事211系が走っているのを目撃しました。
実は貴重なものになっていた高崎の211系。これまでについて振り返ろうと思います。
ご存じのとおり、JR東日本の211系には、0番台、2000番台、1000番台、3000番台の4つのタイプがあります。0番台、2000番台は東海道線用、1000番台、3000番台は東北、高崎線用です。
外観的には、東海道線用にはグリーン車がはさまれていたこと、東北・高崎線用の奇数電動車がクモハであることが特徴です。
211系の登場は1985年。尾久に留置された新製車を見つけました。
1958年以来続いてきた東海顔と決別し、当時は珍しかったステンレス車体。国鉄電車にも新時代が来たと感じました。
しかし、先頭車のクモハにはびっくり。当時は中間車の先頭車化が盛んでしたから、最初から転用を考えた編成なのだと思いましたが、30年経ってその使い勝手のよさを証明することになりました。
そのころの東北高崎線用の115系1000番台の車番は完全にバラバラでした。一例をあげると
クハ115-1077
モハ114-1115
モハ115-1052
クハ115-1116
という具合で、まったく法則性がありません。これは、同番台の投入先が多様で、3両から7両まで種々の編成を製作していったためです。
211系は5両編成と決まっていたので、車番が完全に揃うと思いきや、クモハが入ることにより、サハが2両となり、またまた揃わないこととなりました。
211系の編成は、当初、上野寄りから1000番台1本に3000番台1,2本を連結して10,15両編成を組成することになっていましたが、1000番台は使い勝手が悪かったのか、11本製作されたところで打ち止めとなり、その後は3000番台のみ製造されました。
TOMIXさんがフライングして、実在しない1017番編成を模型化したのは秘密です。
2000年、製造後15年間走り続けてきた211系に弟ができました。
E231系です。E231系は、東北・高崎線の115系を淘汰したばかりか、211系にも余剰を生じさせ、3000番台の一部が幕張に転じて総武・房総各線で活躍することになりました。
なお、E231系の登場時にはグリーン車は連結していませんでした。
何事もなく走り続けてきた211系に、グリーン車を組み込むという転機が訪れました。湘南新宿ラインには運用されなくなった211系は組み込みの対象外だったのですが、高崎・宇都宮線内での利用が好調なので全列車に連結することになりました。
必要なグリーン車は、東海道の113系に組み込まれていたサロ124,125を転用して東海道のグリーン車をすべて2階建とし、余剰となった車両を組み合わせて調達しました。
また、グリーン車を先頭車ではさむ形になった編成。面白みのなかった211系がつっこみどころたくさんの系列なりました。
高崎の211系は、2010年ころ、シングルアームパンタに交換されました。東海道用は最後までひし形パンタでしたが、高崎用は115系の置き換え用として使用することを見越して、予算を付けたのでしょう。3000番台の一部には、運転台側にパンタを増設した車両が登場しました。
そしていよいよ211系も上野口から引退する時期がやってきました。引導を渡したのはE233系。2012年9月からあれよあれよという間に211系を置き換えていきました。
最近、大宮駅構内に、3両編成に組成された3000番台が留置されています。今後は模型の世界でもこういう編成を楽しむことになるのでしょう。
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