表題のEF65Pと20系さくらが、23日、発売となります。
一応新製品ですが、EF65Pは2009年9月に発売された3060-1をスロットレスモーター搭載仕様とした点が、20系さくらは2013年3月に発売されたさくらセットのカニ、ナハネフのカプラーを車体マウントにした点と乗務員室内を細密化した点が新製品たるゆえんのようです。
旧製品購入当時の感想はこちらです。 EF65P 20系さくら
EF65Pは、1965(昭和40)年にEF60500からブルトレ牽引を引き継ぎ、1978(昭和53)年にPFと交代しております。
「ブルトレ牽引機といえば」という問いに対しては、お住いの地域、回答者の年齢によってさまざまであるとは思いますが、私にとってはEF65Pになります。
20系客車とマッチしたカラーリング、収まるべきところに収まるヘッドマーク、というかヘッドマークを前提のデザインではないかと。ヘッドマークをつけていないP型は物足りなく感じます。
外観は変わらないであろう新製品の外観は、
こんな感じです。品番3032から3060になって、車体長が短くなり台車間の隙間が実感的になりました。
一方今回の20系さくら編成は、1965 1968(昭和40 43)年10月改正から1972(昭和47)年3月改正までの姿。
訂正です。1965年から1968年までは、2号車にナロ20が連結されていて、今回の編成とは異なりました。失礼しました。
20系化当初、付属編成は博多どまりで基本編成が長崎行き。基本編成の緩急車はナハフ21、付属編成はナハフ20でした。
1964(昭和39)年、博多どまりだった付属編成が長崎行きとなってマヤ20のお世話になり、基本編成が佐世保行きとなっていました。当時、付属編成にはナハネフ22が組み込まれたものの、基本編成はナハフ21からナハネフ21への改造が完了しておらず、寝台需要の大きい長崎方面が付属編成となったのかもしれません。
1965年にナハネフ21への改造が完了し、基本編成が長崎行き、付属編成が佐世保行きとなつてなり、よんさんとおのときに2号車がナハネ20が組み込まれて、今回の製品の編成となります。
しかし、1972年3月改正では14系にバトンを渡し、20系さくらは消滅しております。ちなみに山陽新幹線が岡山まで開業したのもこの改正。
本セットで目玉のマヤ20
発売当時、こんな希少形式まで製品化されると驚いたものですが、活躍するのは肥前山口-佐世保間のみ。
そもそも、東海道筋の15連として走らせることが多い20系ブルトレではマヤ20の出番が乏しいうえに、KATOのDD51は1000番以上のナンバーが多く、さくらの牽引にはあたっておりません。今回、DD51 0番台が発売されることとなってようやくマヤ20の出番がまわってきました。
昭和40年当時、鳥栖機関区には非重連仕様の0番台しか配置されておらず、単機で20系15両編成をけん引していたものと思われます。DD51はD51並みのけん引力(1000t)がありますので、単機でも20系15両を牽引できたのでしょう。
1975年にさくらに乗車した際、鳥栖-肥前山口間はDD51重連でした。1ランク重くなった14系編成の速度を維持するために500番台の総括重連運転だったのか、肥前山口から佐世保編成を牽引するDD51の送り込み回送運用だったのか、そのあたりは不明です。
さて20系さくらに戻つて、カプラー周りと乗務員室が改善されるという
ナハネフ22
ナハネフ21
カニ22。 カニ22はパンタグラフ撤去後の姿をモデル化、パンタ付きは10-367初代さくらセットに入っています。
入線済みの方は、床板ASSYパーツでアップトゥデイトもありですね。
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