昔乗った思い出の列車を模型で再現しています。第1部は急行桜島・高千穂です。

第1回の列車編成の話はこちら。
第2回の牽引機の話はこちら。
第3回は大阪までの道中のお話です。
まずは、大阪までの運転時刻をおさらいしておきましょう。
東京10:00発、横浜10:29、小田原11:16、熱海11:37、沼津11:56、富士12:12、清水12:35、静岡12:48、浜松13:51、豊橋14:20、名古屋15:19、尾張一宮15:36、岐阜15:49、大津17:17、京都17:29、大阪18:04着。
東京を出発する際にはけっこうな乗車率でした。ボックス席は確保したものの、3人旅行だったので、相席をお願いされました。
出発間際に、初老のご婦人が「この列車は小田原に停まりますか」と聞いていたのを覚えてます。
45年近く前とはいえ、東京駅に入ってくるのは、

153系か113系の湘南色の電車がほとんど。これらは小田原停車が当たり前ですが、桜島・高千穂は、旧型客車の列車ですから、小田原に停まるか不安だったのでしょう。実際米原には停まらない列車なので、不安になるのも当然かも。
東京駅の客車列車の発車はとても静か。いつ動き出したのかわからないくらい、衝動なく発車します。
熱海まで1時間37分というのは、決して遅くありません。現在の踊り子は1時間20分くらいで走りますが、このころの電車急行東海も桜島・高千穂と同じような運転時間で走っていました。

右のふせんが桜島・高千穂、左側のふせんが東海2号です。東海2号は桜島・高千穂のほぼ1時間前の時刻で走っています。停車駅を絞っているので、東海の運転時分にあわせることができているようです。
熱海と静岡の間ではこまめに停車しており、桜島・高千穂の東京口では静岡県東部の需要に応える列車であったことが推測できます。
逆に静岡よりも遠くに行くのであれば新幹線を使う人が多かったのか、静岡以遠では、浜松、豊橋、名古屋と主要駅にしか停まらなくなります。実際、空席が目立つようになりました。このころ、静岡名古屋間を直通する昼行の優等列車は桜島・高千穂しかありません。このことからも新幹線利用者が多かったことがうかがえます。
ちなみに、東京から鹿児島まで乗りとおす乗客は皆無に等しく、昼間は100キロ程度乗車する方の、夜行列車となる山陽路は安価に移動しようとする方の利用が多かったと聞いた覚えがあります。
空いてきたので、がらがらの高千穂に移って、海側と山側のボックス席をいったりきたり。のぞみとかに一度座ってしまうと、立ち上がりにくいですが(少なくとも私は)、このときは誰に迷惑がかかるでもなく、好きに動いていました。
鉄道ファンとしては、東海道を走る列車にも注目。

静岡まで行くと、普通の主力は80系となり、

貨物列車は、EF60,

EF65,

EH10のオンパレード。

EF66の牽く高速貨物。 EF66、EH10はもとより、非貫通のEF65、一灯のEF60も当時の東北高崎筋では見られない機関車ですので、大いに堪能しました。
そうこうしているうちに、日も落ちて大阪に到着。夕食を食べて、山陰に行く列車を待ちました。
次回からは、第2部 山陰に行く列車のお話をします。

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