前回は、スシ37という形式が
スシ37700~37727,37729~37738 → スシ37 1~38
スシ37740~37758 → スシ37 39~57
スシ37800~37820 → スシ37 58~78
というようにして、誕生したお話でした。
今回は、スシ37が戦時改造、米軍接収、食堂車への復元により複雑怪奇な形式となっていった話です。
まず、戦時改造ですが、昭和19(1944)年、食堂車は3等車に改造されることになり、
スシ37 1~45は、食堂と厨房を撤去してマハ47 161~205となりました。このグループは食堂車に復元されることはありませんでした。
一方、スシ37 46~78は、将来食堂車に復元するときのことを考慮して、
食堂は撤去するものの厨房は残して、スハシ481~33とすることになりました。が、戦局の悪化で改造できなかった車両もありました。
また、厨房を残したといっても調理する熱源はなく、車販室のような使われ方をしたようです。
スシ37 77が戦災廃車となりましたが、32両がスハシ48またはスシ37として生き残りました。
スハシ48のうち17両は終戦の昭和20(1945)年から昭和22(1947)年にかけて、スシ37に復元されました。
当初は国内輸送を充実させるためでしたが、復元されるそばから米軍に接収されてしまうので復元を中止すると、米軍から復元するように求められ、結局17両が復元されました。そのうち、12両は冷房準備工事が行われましたが、形式はそのままでした。
復元されたスシ37のほとんどは昭和27(1952)年まで返還されませんでした。
昭和24(1949)年、特急が復活することになり、
接収されなかった
スシ37 59→スハシ48 14がスシ47 1に、
スシ37 66→スハシ48 21がスシ47 3に、
早期に返還された
スシ37 64→スハシ48 19→スシ39 4がスシ47 2に、
スシ37 71(スハシ48に改造されなかった)がスシ47 11に
改造されました。
特急用ということで、冷房化されたため、スシ47という新形式になりました。
スシ47 11が飛番号なのは、室内構造が異なるためです。
スシ37の間取りは、

前位から物置、喫煙室と車掌室、食堂の順になっていますが、スシ37 71は、接収中に車掌室と喫煙室が撤去するとともに厨房が拡張されていました。返還後に車掌室と喫煙室が復元されなかったためスシ47 10番台となりました。
また、長距離列車用に半室食堂車の要望が高まり、昭和24(1949)年から翌年にかけて、
オハ35やスハ32を種車としてオハシ30が誕生しました。もとスシ37 67であったスハシ48 22も客室部分の一部を食堂に戻し、スハシ37 11となりました。
昭和25(1950)年には、

スハ43系の食堂車であるマシ35が登場し、特急つばめ、はと用に活躍しました。
昭和26(1951)年、スハシ48 15をスシ37 60に復元したところ、米軍に接収されてしまいましたが、翌年他のスシ37とともに返還されました。
昭和27(1952)年、山陽特急用の食堂車を新製する予定でしたが諸般の事情で取りやめとなり、スハシ48のまま残っていた車両とスハシ37 11を全室食堂車に再改造することになり、スシ48形式としました。新形式としたのは、厨房をマシ35並に近代化したためです。
スハシ48 2,3,5は、もとダブルルーフ屋根のスシ37 47,48,50でしたが、スシ48とするにあたり、シングルルーフ折妻に改造されました。
スシ37 47→スハシ48 2→スシ48 1
スシ37 48→スハシ48 3→スシ48 2
スシ37 50→スハシ48 5→スシ48 3
スシ37 61→スハシ48 16→スシ48 11
スシ37 62→スハシ48 17→スシ48 12
この車両を電暖化したものが、

みちのくセットのスシ48 2012です。
スシ37 63→スハシ48 18→スシ48 13
スシ37 65→スハシ48 20→スシ48 14
スシ37 67→スハシ48 22→スハシ37 11→スシ48 15
スシ37 74→スハシ48 29→スシ48 16
以上のごとく、昭和27年の段階で、スシ37形は、原型の19両が在籍し、4両がスシ47形に、9両がスシ48形に改造されていました。
そして、昭和28(1953)年、それまで、3軸ボギー車の形式は、1の位が7~9の形式とされていましたが、7は2軸ボギー車とすることになり、改番がおこなわれました。
これによって、スシ28やマシ29という形式が誕生します。
参考文献 鉄道ビクトリアル2005年5月号 50~56頁

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